これぞサムライ! 剣禅書の達人 山岡鉄舟 幼少期~青年期

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山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)居士とは

山岡鉄舟は、日本人なら、男なら、誰もが尊敬し、憧れる 最後のサムライと言えるのではないでしょうか。幕末から明治時代の幕臣であり、政治家であり、思想家です。また、剣・禅・書の達人としても知られています。 本名は高歩(たかゆき)。通称は鉄太郎。”鉄舟”や”一楽斎”という号をもっていました。幕末から明治にかけて、自分の信念を貫き通して生き、あの西郷隆盛に「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、何とも始末に困る人」と唸らせた”漢(おとこ)”です。(正式には「山岡鐵舟」のようですが、本編では一般的な表記である「山岡鉄舟」とします)

剣の人として 明治13(1880)年3月30日の明け方、剣の極意に達する。 無刀流の開祖として春風館道場を開く
禅の人として 明治13(1880)年3月30日の明け方、大悟徹底。京都嵯峨の天竜寺の滴水禅師より印可を受ける
書の人として 弘法大師入木道(にゅうぼくどう)五十二世、その後 王義之の「宋刻十七帖」に25年取組み、その真髄を会得する
幕末の士として 慶応戊辰(1868年)3月、勝 海舟の許しを受け、幕臣として、東征大総督府下参謀の西郷隆盛のもとに単身乗り込み、交渉の末、江戸城無血開城実現の道筋をつくる
明治の行政官として 明治2(1869)年、静岡藩の権大参事(在任2年)。明治4(1871)年11月、茨城参事(在任20日)。明治4(1871)年12月、伊万里県(佐賀・長崎県)の権令(県知事)(在任3か月)。
宮仕えの人として 明治5(1872)年6月、宮内省出仕。明治天皇の侍従となる。明治15(1882)年6月辞職。その後も終生御用掛となる。
幅広い人脈の人として 明治天皇、幕臣 勝 海舟、槍の達人 高橋泥舟、任侠の清水次郎長、西郷隆盛、医師 千葉立造、落語家 三遊亭圓朝

このシリーズでは、山岡鉄舟の魅力を少しずつ共有していきます。


山岡鉄舟の生い立ち

山岡鉄舟の誕生

山岡鉄舟は、天保7(1836)年6月10日、江戸の本所で産まれました。これは、現在の東京都墨田区亀沢4-11-15 墨田区立竪川中学校の正門あたりになります。

父は、当時 御蔵奉行(おくらぶぎょう)を務めていた小野長右衛門高福(おのちょうえもんたかよし)、母は、常陸の国鹿島神宮の社人である塚原石見(つかはらいわみ)の二女 磯(いそ)。鉄舟は小野家の四男になります。母 磯(「磯女・いそめ」とも)は、高福の三番目の妻でしたが、自身にとっては鉄舟が初産。さぞかし可愛がったことでしょう。

山岡鉄舟の少年期

山岡鉄舟8歳ごろ

観音様を信仰する。朝に夕に茶菓を供えて礼拝することが習慣となる。

山岡鉄舟9歳

弘化元(1844)年、真影流 久須美閑適斎(くすみかんてきさい)について剣術を習い始める。

山岡鉄舟10歳

『WaShimoのホームページより転載』

弘化2(1845)年、父 高福が飛騨高山へ郡代とし赴任。弘化2(1845)年、飛騨高山の第21代の郡代として 高山陣屋(岐阜県高山市八軒町1-5)へ赴任する。鉄舟一家の生活の拠点は、江戸からこの飛騨高山の 高山陣屋へ移る。 高山陣屋は、幕府の直轄地(天領)であった飛騨高山の陣屋として 177年間にわたって25代の代官・郡代が政務を行ったところ。元々高山城主金森氏の下屋敷だったものを金森氏の移封後、陣屋にしたもので、唯一現存する江戸時代の陣屋。1929年(昭和4年)に国史跡に指定されている。

岩佐一亭(当時68~69歳)について書を学ぶ。

山岡鉄舟11歳

『WaShimoのホームページより転載』

『WaShimoのホームページより転載』

『WaShimoのホームページより転載』

宋猷寺(そうゆうじ)の和尚と鉄舟との、面白いエピソード。宋猷寺は、鉄舟の自宅から直線距離にして850メートル程度の山あいにある臨済宗妙心寺派の寺院。父 小野宗衛門高福がここの和尚と親しかったことから、鉄舟も宋猷寺に出入りしていた。ある日のこと、鉄舟が一人で宋猷寺に遊びに行き、鐘楼の前に立って、もの珍しげに眺めていると、後ろから和尚が「鉄さん、鉄さん、その鐘が欲しければあげましょう。持っていきなさい」と声をかけた。振り返った鉄舟は、和尚に「ありがとう」と一礼し、自宅へ飛んで帰って、父に「宋猷寺の大鐘をもらいました」と報告した。父は笑いながら「では、取ってきなさい」と返す。鉄舟は小躍りして喜び、出入りの若者を連れて宋猷寺へ引き返し、大鐘を降ろそうとしている。驚いた和尚が、あれは冗談であったと何度も謝ったが、鉄舟はまったく聞き入れない。とうとう、呼び出された父 高福の説得で、ようやく収まったという話。何ごとにも一途な、鉄舟の片鱗が窺えるできごと。(冗談が通じない強情もの? by 一庶民)

山岡鉄舟13歳

ある日のこと、隣の家に招かれて鉄舟の兄弟全員が鰻をご馳走になっていたときのこと。鉄舟だけは自宅に一人残って読書にふけっていた。小野家に滞在中の客人が「坊ちゃんは、どうして鰻を食べに行かないのか?」と糺すと、鉄舟は「あんなミミズにひれの生えたようなケチなものはお断りです。鯨かなにかならご馳走になります」と言ってのけ、客人の舌を巻かせた。(痩せ我慢?わがまま? by 一庶民)

禅は13歳ごろに始め、国・漢学・絵画等も高山在住時代の約8年間に学ぶ。(有名進学校なみ! by 一庶民)

『WaShimoのホームページより転載』

『WaShimoのホームページより転載』

13歳の鉄舟は、陣屋(自宅)の松をみて、
降る雪と力くらべや松の枝
と詠んだ。(これが13歳の筆!? by 一庶民)

山岡鉄舟15歳

15歳のとき、異母兄の小野古風(こふう)に伴われて、父の代わりにお伊勢さん参りに出かけている。一日十里(約40㎞)を歩く旅程であったが、あいにくの雨降りが続き、伊勢の白子(しろこ・現在の三重県鈴鹿市 伊勢街道の宿場町)に到着したころはことさら荒れた天気だったという。
8歳のころから観音様信仰があり、朝夕茶菓を供えては礼拝する日課があった鉄舟は、それでも下男に命じて茶菓を買い求め、袴を羽織り直して、いつものように礼拝を始めた。
ところが、いつまでたっても平伏したままなので、兄の小野古風が声をかけてみると、さすがの鉄舟も疲労のため眠っていたという。
小野古風は、後年になっても、このときの話を持ち出しては、鉄舟と二人で大笑いした。(鉄舟も人の子。ちょっと可愛らしい by 一庶民)

岩佐一亭について書を学んでいた鉄舟は、15歳で弘法大師流入木道の伝統を継承する。(中3で書道の免許皆伝!? by 一庶民)


山岡鉄舟の青年期

山岡鉄舟16歳

嘉永4(1851)年9月25日、母 磯(いそ・「磯女・いそめ」とも)が病気のため他界。

12月、父 高福が江戸から招いた 井上清虎、高山に到着。井上清虎より北辰一刀流を学ぶ。

山岡鉄舟17歳

嘉永5(1852)年2月2日、父 小野長右衛門高歩(おのちょうえもんたかよし)が他界。父は、臨終の床で、鉄舟に金3500両をもって5人の子どもの将来を託している。その5人とは、酒井曲(さかいきわむ)、芝中福(しばただよし)、小野駒之助(おのこまのすけ)、小野飛馬吉(おのひめきち)、落合務(おちあいつとむ)。いずれも鉄舟の同母弟であった。(5人の弟を託されるとは、この先 どうしたものか悩んだでしょう by 一庶民)

父 高福、母 磯(磯女)の墓は、宋猷寺にある。

『WaShimoのホームページより転載』

『WaShimoのホームページより転載』

7月29日、5人の弟を連れて、江戸に帰着。異母兄の小野古風の家に身を寄せる。

三か月の間、まだ2歳になったばかりの、末弟の務(つとむ)を抱いて近隣に貰い乳に歩き、夜になれば重湯に蜜を加えたものを枕元に温め置き、添い寝しながらこれを飲ませるなど、弟達の面倒を見る。

5人の弟に、父の遺した金を分け与え、それぞれ相応の旗本の家に養子にやる。(泣く泣くの弟達との別れ 辛かったのでは? by 一庶民)

この間の生活は、鉄舟の衣服は常に破れがちであったので、周囲の同輩から「ボロ鉄」というあだ名をつけられる。鉄舟はこのあだなを甘受し、自らも「ボロ鉄」と称していたという。

山岡鉄舟18歳

鉄舟、幕府の講武所に入って武術を習い始める。

山岡鉄舟19歳

ある夜、異母兄の小野古風が、本所の知人宅から小石川の自宅へ帰ろうとして不忍池に差し掛かったところ、弁天様の前の石灯篭を崩している不埒者を発見する。木陰に潜み様子を窺っていると、とうとう石灯篭の竿石を高く差し上げ池の中に放り込もうとした。小野古風が「コラ待て」と叫び駆け寄ってみると、なんと弟の鉄舟であった。小野古風は、鉄舟を自宅に連れ戻り、夜を徹してその粗暴をたしなめると、鉄舟も深く反省し、左腕を刺して血を流し、自戒を誓った。(かなりストレスが溜まったいたのでは? by 一庶民)

山岡静山の門に入って槍術を学ぶ。

槍術の師、山岡静山が水死する。(享年27歳)

山岡鉄舟20歳

山岡家の家督相続として、高橋泥舟が鉄舟を推す。鉄舟は、金100両を持参して、山岡家(高橋泥舟の実家)に入る。

残った金は、すべて兄の小野古風に贈る。

『ラストサムライ 剣禅書の達人 山岡鉄舟の魅力 幼少期~青年期』は以上でござりまする。


 

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