忍者(ニンジャ・Ninjya)道臣命【日本の侍(サムライ・Samurai)】

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飛鳥時代に実在した忍者 道臣命 みちのおみのみこと

  • 氏名 道臣命 みちのおみのみこと Michi no Omi no Mikoto
  • 生没年 不詳
  • 日本書紀に登場する人物
  • わが国で最初に忍術を使ったともされる

忍者の原型

日本における最古の歴史書のひとつ『日本書記』に登場するのが、国内で初めて忍術を使ったといわれる道臣命。またこれとは別に、紀元前に大陸からやってきたともいう御色多由也(おいろたゆや)が、日本に忍術を伝えたという説もあります。

のちの忍者に多大な影響を与える

道臣命(みちのおみのみこと)は、神武天皇が日本国を建てるために東征した際の先鋒を務めた、日本で最初に忍術を用いたとされる人物です。

『日本書紀』や『旧事本紀(くじほんぎ)』によると、神武天皇の密策で「諷歌倒語(そえうたさかしまごと)の術」を用い、歌や言葉に暗号を組み込むことで敵に悟られず作戦を実行したといいます。

元は、「日臣命(ひのおみのみこと)」という名でしたが、この功で「道臣命」という名を天皇より賜ったとされています。

神武天皇の嚮同(きょうどう・斥候や道案内、先駆けの意味)の役目を負い、暗号を用いて、意表をついた攻撃を仕掛けることは、のちの忍者に通じる部分も多いため、忍者の始祖だったといわれもします。

なお、道臣命の末孫はのちに姓を「大伴」とし、聖徳太子に仕えた大伴細人(おおとものさびと・大伴細入/おおとものさいにゅう)は彼の子孫だったともされます。ただし、その真偽は定かではありません。

大伴氏は天皇家に仕える軍事を司る一族で、のちに姓を伴(とも・ばん)と改め、末裔は甲賀地域に多くの氏族を生みました。伴、大原、上野、滝、宮島、山岡など「伴党(ばんとう)」として活躍し、甲賀武士の代表的な氏族でした。そして、この甲賀武士がやがて甲賀衆として忍者の働きでその名を馳せることになるのです。

御色多由也(おいろたゆや)のこと

神話時代から下り、日本最初期の忍者とされたのが御色多由也です。この名前に関しては「御弓路太郎」「御由路大夫」など、さまざまに記録された書物が存在しますが、多由也の「也」は漢文で断定を意味する「也」を誤って名前の一部としてしまったのではないかともいわれています。

多由也は伊賀の人々に忍術を教えたとされ、伊賀の歴史を記した『伊乱記(いらんき)』には、「上代より伊賀の遺風(いふう)とて、いにしえの御色多由也より謀術を伝う」とあります。多由也が何者かはっきりしませんが、紀元前に秦より渡来した人物、徐福(じょふく)の付き人、もしくは徐福本人という説もあります。伊賀服部家の秘伝書『忍秘伝(しのびひでん)』にも紀元前に徐福一行の者が忍術を伝えたという記述が残されています。
徐福は紀元前221年、秦の始皇帝に命じられ、不老不死の妙薬を探すなかで日本に上陸したといいます。彼により日本に仙術が伝わったとされ、これが忍術の源流と考えられたのでしょう。

道臣命や御色多由也は、伝説的な要素が多く、実体はよくわかりませんが、少なくとも後世の忍者たちに影響を与えたことは間違いなさそうです。


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