1分で分かる!激動の昭和史 昭和26年(1951年)そのときあなたは?

昭和26年 プロレス試合

目次 Contents

昭和26年(1951年)ってどんな年?

昭和26年、あなたが何歳だったか調べてみましょう

日本を変えた昭和26年の出来事

昭和26年(1951年)の概要

昭和26年(1951年)の動き

講和・安保条約に調印,朝鮮特需が復興を促進

昭和26年(1951年)の川柳 パチンコやオヤあなたにも影がない 中村冨二

昭和26年(1951年)のプロ野球記録

  • セントラル・リーグ
    優勝チーム 巨人(監督 水原 茂)
    最優秀選手 川上哲治(巨人)
    首位打者 川上哲治(巨人)
    本塁打王 青田 昇(巨人)
    打点王 青田 昇(巨人)
  • パシフィック・リーグ
    優勝チーム 南海(監督 山本一人)
    最優秀選手 山本一人(南海)
    首位打者 大下 弘(東映フライヤーズ)
    本塁打王 大下 弘(東映フライヤーズ)
    打点王 飯田徳治(南海ホークス)

昭和26年(1951年)の高校野球決勝戦


  • 鳴門(徳島) 3-2 鳴尾(兵庫)

  • 平安(京都) 7-4 熊谷(埼玉)

昭和26年(1951年)の大相撲優勝力士

  • 1月場所
    横綱 照國(全勝優勝)
  • 5月場所
    大関 千代ノ山
  • 9月場所
    横綱 東冨士

昭和26年(1951年)の内閣

吉田 茂(自由党)内閣心

昭和26年(1951年)の政治・経済

1.21 社会党大会,平和3原則に再軍備反対を加え平和4原則決議,委員長は左派の鈴木茂三郎。
1.25 ダレス米講和特使来日(3次にわたり吉田首相と会談,日本の再軍備を要求。日本,新しく5万人の保安部隊創設計画を示す。米軍の日本駐留と日本の再軍備の方向性固まる)。
2.23 共産党,武装闘争方針を提起。 10.16暴力革命を定めた新綱領採択(51年綱領)。火炎ビン闘争などの武力闘争で,国民の支持を失う。
3.29 共産党の川上貫一議員,全面講和と再軍備反対を主張し,議会から除名される。
4.11 マッカーサー,朝鮮戦争で強硬策を主張してトルーマン大統領と対立,解任(後任リッジウェイ中将)。 4.16帰国。
4.23 第2回統一地方選挙(自由党圧倒的優位,国民民主・社会・共産は不振)。
5.1 リッジウェイ,日本政府に占領諸法令の再検討を認める。5.14首相の私的諮問機関として政令諮問委員会初会合(石坂泰三東芝社長など8人。追放解除・独占禁止法改正・労働法規改正など戦後改革の修正を提言)。
6.12 警察法改正公布(自治体警察減少)。
6.21 日本,ILOとユネスコに加盟。
7.4 吉田内閣改造(佐藤栄作,郵政相として初入閣。内閣・党ともに吉田側近で固める)。
7.31 日本航空設立(戦後初の国内民間航空,資本金1億円,会長藤山愛一郎)。
8.22 講和会議全権委員6人を任命(首席吉田茂。国民民主党・緑風会は参加,社会党不参加)。
8.28 天皇,米の「寛大な講和」への感謝をリッジウェイ最高司令官を通じて米に伝達。
9.4 サンフランシスコ講和会議開催(インド・ビルマは参加拒否,中国は招待されず)。 9.8対日講和条約調印(49か国。ソ連・チェコ・ポークッドは調印せず)。日米安全保障条約調印。
10.4 出入国管理令公布(朝鮮民主主義人民共和国など社会主義国との出入国の取締りが目的)。
10.24 社会党,講和条約に賛成する右派・中間派と反対する左派に分裂(右派,書記長浅沼稲次郎・衆院27・参院30,左派,委員長鈴木茂三郎・衆院15・参院31)。両派とも安保条約には反対。
10.26 衆院,講和条約を307対47,安保条約を289対71で承認(左派社会党・労農・共産と国民民主党の園田直ら3人は両条約反対,稲葉修は安保条約にのみ反対)。 11.18参院も承認。
12.24 吉田首相,ダレス宛書簡で台湾政府との講和を確約(昭27.1.16発表)。
12.26 吉田内閣改造(首相の外相兼任をやめ岡崎勝男を起用。クリスマス改造)。

昭和26年(1951年)の世界

1.1 北朝鮮軍・中国軍,38度線を突破して南下。 1.4国連軍,ソウルから撤退。北朝鮮軍・中国軍,ソウル入城,韓国政府は釜山へ移転。 1・25 国連軍,反撃を開始。3.7ソウル再奪回。4.3再び38度線を突破して北進。
2.11 ベトナム共産党,ベトナム労働党に改組。
2.21 世界平和評議会,5大国による平和協定締結を要求(ベルリン=アピール。 6億人が署名)。
3.4 第1回アジア競技大会開催(ニューデリー,~3.11)。  日本は5競技に参加,男・女陸上と自転車の計24種目で優勝。
3.15 イラン,石油国有化法成立。
4.1 インド,第1次5か年計画開始。
4.18 西欧6か国,欧州石炭鉄鋼共同体条約調印。
4.19 第55回ボストン=マラソンに日本初参加。原爆ボーイといわれた19歳の田中茂樹が2時間27分45秒で優勝。
6.23 ソ連国連代表マリク,朝鮮停戦交渉を提案。
7.1 「コロンボエフワン」(東南アジアの英連邦諸国開発計画)実施。
7.10 朝鮮休戦会議,開城で開催。
8.30 米フィリピン相互防衛条約調印。
9.1 米・豪・ニュージーランド,太平洋安全保障条約(ANZUS条約)調印。
9.10 黒渾明監督の『羅生門』ベニス映画祭でグランプリ。
10.10 米で相互安全保障法(MSA法)成立。
10.27 英,保守党が政権復帰(第2次チャーチル内閣)。
12.1 中国人民解放軍,チペットのラサに進駐。
12.30 マーシャル=プラン終了,約120億トレを支出。

昭和26年(1951年)の社会・文化

1.15 全面講和愛国運動全国協議会結成(90団体参加,9月30日までに480万人署名)。
1.24 日教組,「教え子を戦場に送るな」の運動を決定。
1.24 山口県麻郷村八海で老夫婦膨殺される。吉岡晃ら5人起訴され,単独犯か複数犯かで,3度最高裁で審理(八海事件)。
2.15 東京の積雪30cmで国電など止まる(国会流会,証券取引所立会停止)。
3.10 総評第2回大会。平和4原則を決定,国際自由労連一括加盟を否決。
3.29 社会福祉事業法公布。
4.12 ナイロン・ストレプトマイシンなどの製造技術導入認可。
4.24 横浜桜木町駅で,可燃性資材使用の63型国電発火,死者106人(桜木町事件)。これ以後,非常ドア開放装置を設置。
5.1 第22回メーデー。皇居前広場使用を禁止され,芝公園など分散メーデーとなる。
5.3 戸田城聖,創価学会会長に就任。
5.25 人名用漢字別表公表(当用漢字以外に92字制定)。
6.1 大阪市で,ワンマンバス6台初運転。
6.3 NHK,テレビ初の実験実況中継(後楽園球場から日本橋三越ヘプロ野球放送)。
6.7 文化財保護委員会,国宝181件を新指定。
6.30 東京都教育委員会,足立区に夜間中学設置を認可。7.16区立4中第2部開校。
7.6 アナタハン島で敗戦を知らずにいた日本兵19人と比嘉和子帰国。
8.4 奄美大島住民8000人,日本復帰を要求し24時間の断食を行う。
9.1 中部日本放送・新日本放送開局(民間ラジオ放送,初の正式放送)。
9.15 中央社会事業協議会,「としよりの日」を制定・実施。
10.1 朝日・毎日・読売など,夕刊発行を再開。
10.14 ルーズ台風(死者・行方不明1200人)。
10.25 日航第1号機もく星号,東京一大阪一福岡間に就航(東京―大阪間6000円,乗客36人)。
10.28 メモリアルホール(旧国技館)で日本初のプロレス試合(力道山対フランス)。
11.10 日教組,日光で第1回全国教育研究大会。
12.18 全三越従組,6名の解雇に反対し東京3店で48時間ストに突入o支援団体2000人と共にピケをはり,警官出動。
12.27 法隆寺金堂壁画の模写(昭15年~)完成。

昭和26年(1951年)の世相

1月 NHK,第1回『紅白歌合戦』を放送。
3月 無着成恭編『山びこ学校』発表。生活綴り方再興の気運高まる。
4月 銀座に街灯106本が復活/コロムビア,日本初のLPレコードを発売(ベートーペン「第9交響曲」ほか4枚)。
8月 生活難から「人身売買」などの児童福祉法違反事件が激増(東京・山形・福岡・奈良などで約5000人)。
9月 三好十郎の『炎の人』,新橋演舞場で初演(劇団民芸,滝沢修主演)/峠三吉,『原爆詩集』をガリ版刷りで出版。
10月 警視庁,ゴム風船を使った酪酎鑑識器で飲酒運転の取締りを開始。
12月 東京都内の露店6000軒が廃止。
この年 名古屋に始まるパチンコ,全国に大流行/東京で女剣劇が人気(浅香光代・大江美智子ら競演)/結核が初めて死亡原因の第2位に下がる(1位は脳溢血)/赤痢流行,1万4000人以上の死者/ファッションモデル専業化/手塚治虫,漫画『鉄腕アトム』を雑誌『少年』に連載/民放開始に伴い,初のコマーシャルソング「ぼくはアマチュアカメラマン」が作られる。

昭和26年(1951年)の流行語

逆コース(戦後民主化政策からの逆転をいう)/社用族/老兵は死なず,消え去るのみ(マッカーサーの言葉)/PR

昭和26年(1951年)の流行歌

「高原の駅よさようなら」小畑実/「上海帰りのリル」津村謙/「トンコ節」久保幸江・加藤雅夫/「野球小僧」灰田勝彦/「雪山讃歌」/「泉のほとり」

昭和26年(1951年)の話題の書物

林芙美子『浮雲』/無着成恭『山びこ学校』/加藤周一『抵抗の文学』/吉川英治『新・平家物語』/源氏鶏犬『三等重役』/笠信太郎『ものの見方について』/波多野勤子『少年期』/マークごダイン『ニッポン日記J

昭和26年(1951年)の映画

『カルメン故郷に帰る』(初の総天然色)松竹;木下恵介監督・高峰秀子・佐野周二/『めし』東宝;成瀬已喜男監督・上原謙・原節子/『愛妻物語』近代映画協会・大映;新藤兼人監督・宇野重吉・乙羽信子
[洋画]『邪魔者は殺せ』(英)/『オルフェ』(仏)/『わが谷は緑なりき』『サンセット大通り』『黄色いリボン』『バンビ』(米)

昭和26年(1951年)の物価

はがき5円/封書10円/アンパン10円



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昭和26年(1951年)の出来事年表

昭和26年(1951年)1月

昭和26年(1951年)2月

昭和26年(1951年)3月

昭和26年(1951年)4月

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昭和26年(1951年)のスポーツ

昭和26年(1951年)のラジオ

昭和26年(1951年)のコマーシャル

キャッチフレーズなど メーカー 音楽
精工舎の時計がただいま7時をお知らせしました
※日本初のラジオコマーシャル
服部時計店
♪僕はアマチュア・カメラマン
※日本のコマーシャルソング第1号
小西六写真工業 三木鶏郎(曲)・灰田勝彦(歌)

昭和26年(1951年)の映画


昭和26年(1951年)生まれの著名人

昭和26年(1951年)1月生まれ

昭和26年(1951年)2月生まれ

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昭和26年(1951年)12月生まれ


昭和26年(1951年)に亡くなられた著名人

昭和26年(1951年)にノーベル賞を受賞された方

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