親の仕事の都合で転校。 そのとき子どもは何を思う?

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転校を告げる日

「あのね、今度、お引っ越しすることになって…」

『親の都合』で子どもが転校を余儀なくされることがあります。親は、そんな我が子に申し訳なく思い、転校させられる我が子を不憫に感じるものです。

引っ越し準備で、子どもの気持ちまで気が回らない

でも、そんな悠長なことを考える余裕もなく、すぐに引っ越し準備に忙殺されることになります。我が子のことが気になりながらも、「●月×日にはお引っ越し屋さんがやってくるから、部屋の片づけをしたり、机の中のものを箱に詰めたりするのよ!」と、やや厳しい口調になってしまうものです。

こんなとき、部屋の中で、子ども達は何を思い、何を話し合っているのでしょう。もちろん、お子さまの性格も感性もお一人お一人違いますから、千差万別です。ここでは、4つの小学校に通うことになった、当ブログ主 仮称 陸奥五郎(むつ ごろう)君の経験談をご紹介します。

佐賀県杵島郡S小学校2年生に訪れた『転校話』

それは、ごろう君が佐賀県杵島郡のS小学校2年の春休みのことでした。父親の転勤が決まり、事情はよく分からないまま「とにかく学校を変わる」という宣告を受けたのです。
ごろう君は、幼稚園にも保育所にも通いませんでした。教育熱心なお母さんが『地域の幼稚園に通うよりも自分が教えた方が』と考えたのかもしれません。ごろう君は、毎日、自宅のテレビで、「理科教室小学校●年生」とか「はたらくオジさん」とかの教育テレビの番組を片っ端から見て、小学校の先取り学習をしていました。でも、ずっと一人でした。
小学校に入学してみると、友達もたくさん出来、先取り学習の成果があってか成績もトップクラス。ごろう君はS小学校が大好きになりました。そんなS小学校から、佐賀市の有明海の干潟近くにあるH小学校に転校するごろう君。まだ2年生なので、友達と別れる寂しさも、今一つピンと来ていませんでした。
どこか胸の奥がチクッと痛んだ気もしますが、それよりも、父親の仕事の手伝いをしているかのような、ちょっと誇らしい気持ちになり、両親の手伝いや部屋の片付けも頑張りました。

はじめての転校はあっけなく

お別れもしないまま街を去る

杵島郡S町は、お米・レンコン・玉ねぎなどの栽培が盛んな農業一色の地域。ごろう君一家は、3年間、S町の町営住宅に住んでいましたが、農業とは縁がないこともあって、地域との交流の機会もないまま、その地を去ることになりました。加えて、春休み中ということもあり、ごろう君はクラスの友達と会うこともなく、S町を後にしました。ただし、S小学校の通学路の光景や、自宅近くに広がる田んぼで遊びまわったことは、今でも懐かしい想い出として強烈に残っています。

初めての転校は『普通の進級』程度

小学校3年生としての初登校日。ごろう君は、有明海の干拓地である佐賀市H町のH小学校に向かいました。今まで住んでいたS町同様、ここもお米の大生産地です。3年進級時はちょうどクラス替えがあり、ほとんどの子にとっては、お互い『新しいクラスメートの一人』に過ぎません。担任の先生から特別に紹介されることもなく、ごろう君のH小学校3年生の生活が始まりました。すぐに友達も出来、1週間もすると、S小学校のことを思い出すこともほとんどなくなりました。

二度目の転校のときに現れた始めた『兆し』

またまたやってきた引っ越しと転校

1年後、つまり小学校3年生の春休み、ごろう君はまた転校することになりました。H小学校に通ったのはたった1年だけでしたし、春休み中でもあるので、友達と別れを惜しむようなこともなく、H町をあとにしました。

もしかすると、このころから、ごろう君の人との付き合い方に変化が出始めたかもしれません。『どうせ別れることになるのだから』という気持ちが、仲良くはなるが深入りはしない、という淡白な交際になっていったようです。

『転校生』に訪れる試練

世の中は『坂』があることを初めて知る

ごろう君は、ものごころついたときから「平野」で暮らしてきました。レンコンが特産のS町、有明海干拓地のH町、どちらも海抜ほぼ0メートルの、まっ平の土地です。そのごろう君が引っ越した先は、山あいの温泉地として有名な佐賀県藤津郡U町。自宅も『山』の字が含まれる地名で、急な坂を上り詰めたところにありました。坂の昇り降りは大変でしたが、平野部とは違った自然相手のワイルドな遊びは、ごろう君をすっかりとりこにしました。

自分が『転校生という異物』であることを肌で感じる

一度目とは違い、今回の転校は『クラス替えのない』3年生から4年生への進級のときで、ごろう君はクラスメートの好奇の目を全身で感じながら、自己紹介をすることになりました。そして、お互い緊張し、微妙な距離を保ちながら、登校1日目が始まったのです。

自分から主張するしかない!

登校初日。小学校4年の男児と言えば、いわゆるギャングエイジ。自己に目覚め、お互いの力関係も意識します。照れもあってか、クラスの誰もごろう君に声をかけてこようとはしません。昼休みは、男の子は校庭に出て、リレーのような遊びを始めました。ごろう君も、少し離れたところから、それを見守っていたのですが、何を思ったのかいきなり自分も走り出したのです。決して足が速い方ではなかったごろう君。不思議なことに、このときは走っている友達を追い越してしまいました。

もともと、真面目でおとなしい性格のごろう君。衝動的とも言える自分の行動に、一番驚いたのはごろう君本人かもしれません。心のどこかに「無視される前に自己主張するしかない」という自己防衛のような気持ちが芽生えたのでしょうか。

走り終えたごろう君のところにやってきたのは、クラス男子のなかでもリーダー格のK君。「だい(誰)が走ってよかて言うた?」とごろう君に詰め寄ってきました。ごろう君は「べつに。走りたかったけん。」と強がって答え、そこで会話も終わりました。

男の子というのは、単純というか不思議なものです。このことがきっかけで、K君はごろう君を認め、そして一番の仲良しになりました。

上級生との意地の張り合い(なめられてたまるか!)

『転校生という異物』であるごろう君には、もう一つの試練が待っていました。上級生から呼び出しを受けたのです。U小学校では、各地域の小学校6年生がリーダーとなって集団登校する制度がありました。それを知るはずのないごろう君。一人で学校に通っていたところ、6年生が『俺を無視しやがって生意気なヤツだ』となったようなのです。近所に住むクラスの子が「6年生の●●さんが●●製材所まで来いてばい。」と呼び出しに来ました。この●●製材所は、自宅から坂道を降りていったところにあるのですが、木材置き場にされていたのか、日ごろからあまり人影を見ることがない物騒な場所でした。ごろう君は6年生からの『果たし状』を受け取ったような気になり、胸がドキドキしてきました。

でもここでも、ごろう君には『転校生だからといってなめられてたまるか』という妙な意地が湧いてきたのです。父親の下駄を履き、カランコロンという音を立てながら、わざとゆっくりと坂道を降りて行きました。そして、待ち構えていた6年生に対し、「何の用?」と不遜な態度をとりました。気のせいか、6年生の顔には狼狽の表情がよぎりました。硬直した顔の6年生から「朝、集団登校ばせんばいかんとぞ。一緒に行かんぎ、俺が怒らるっやっか。」と言われたごろう君、「分かった」とだけ答え、踵を返してカランコロンと家に戻りました。翌朝から、言われたとおり集団登校しましたが、6年生はごろう君にはその後何も言いませんでした。

二度目の転校でごろう君が学んだこと、男の意地の張り合い、そして…

それまで、おとなしい優等生だったごろう君。男には男の付き合いの始まりがあり、それにはちょっと荒っぽい「意地の張り合い」というか、「逃げずに立ち向かう勇気」が必要ということを学んだようです。そして、ごろう君は思いました。『もっと強くなりたい!』と。

それから、忘れてはならないもう一つの出来事がありました。「初恋」です。ごろう君は小学校4年で、この甘酸っぱい、切ない思いを体感することになりました。お相手は、同じクラスのRさん。お父さんはU町内でプロパンガスのお店をしておられたようです。ある日、体育の跳び箱の授業で、Rさんが後頭部を打ってしまいました。コブが出来るほどの強打だったようで、クラスの友達が代わるがわるRさんのタンコブを触っては「大丈夫?」と声をかけていましたが、ごろう君には、とてもその勇気はありませんでした。そして、胸が張り裂けるほど心配し、『忍ぶ恋』の切なさを知りました(笑)!

そして1年後、またまた別れのときがやってくる

山あいにあるU町での暮らしは、自宅内でムカデに刺されるなど、ごろう君に野生の逞しさを教えてくれました。そして1年後、U町との別れのときがやってきます。これも春休みのときであり、クラスメートとのあいさつは出来ませんでした。それでも、転校初日にぶつかり合ったK君がお別れを言いに来てくれました。K君は、とても名残惜しそうでしたが、これに対し、『別れの寂しさ』に免疫が出来てきたごろう君の態度は、少しドライだったかもしれません。K君とは、それっきりです。

三度目の転校は都会のI小学校 そこはまるで別世界

ごろう君の新しい引っ越し先は、福岡県の空港の近くにあるI小学校。博多とは少し離れているけれども、マンガの『博多っ子純情』の世界と重なる雰囲気のある土地でもありました。近くには西鉄雑餉隈(ざっしょのくま)という駅があり、その途中にある「武田クリーニング店(タバコ店)」という店。どなたのご実家であるかは、お分かりでしょう!?

ごろう君が今まで暮らしてきたのは、レンコンや玉ねぎ畑に囲まれた佐賀県杵島郡S町、有明海の干拓地で当時はお米づくり日本一となった佐賀市H町、そして温泉とお茶で有名な山合の街藤津郡U町で、いずれも自然と田舎色豊かな土地でした。それが一転して「都会」に住むことになり、ごろう君には毎日が驚きの連続でした。

最初のカルチャーショックは、住まいが4階建てのアパートになったことです。自分の家の上にも、下にも、人が住んでいるのです。そう考えるだけでも、ごろう君はまるで夢の世界に来たようでした。しかもこのアパート、何と、トイレが洋式でした。『一体どうやって用を足すんだ!?』毎日のトイレですら新鮮に感じる、刺激的な暮らしが始まりました。

登校初日、ごろう君はもの笑いのタネとなる

自宅のアパートとはすぐ目の前にあった福岡市立I小学校。小学校5年生へ進級するその日、ごろう君は今までの学校の児童数よりも倍以上もいる、このマンモス小学校に向かいました。担任の先生は、ごろう君と、もう一人の転入生のM君の二人を、クラス全員に紹介しました。黒板には「名前」「今まで通っていた小学校」「住んでいるところ」と書き出され、その3点を自分で言って挨拶するように促されたのです。

先に挨拶することになったごろう君。「名前は陸奥 五郎(むつごろう)です。今まで通っていた小学校はU小学校です。」と順調な滑り出しです。でも福岡市立I小学校5年生の児童にとって『お茶と温泉の街U町』など知る由もありません。何の反応もなく教室はシーンとした雰囲気のなか、ごろう君にとって大問題が発生しました。『住んでいるところ』が分からないのです。ごろう君は、両親から、小学校の名前以外、土地の名前は何一つ聞いたことがなかったのです。

ごろう君は、『学校の目の前にあるし、何といってもあの凄いトイレもあるアパートだから、誰だって知っているだろう』と考え、「住んでいるところはアパートです。」と答えました。一瞬の間があり、担任の先生は「どこのアパート?」とフォローしてくれましたが、ごろう君は「だからあの、あのアパートです。」と答えてしまいました。この直後、固唾をのんでいたクラスの仲間からの大爆笑を浴び、ごろう君は恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまいました。

ごろう君のあとに挨拶したM君。お父さんは自衛官で、全国規模の転校にも慣れていると見え、「名前はMです。北海道の●●小学校から来ました。住んでいるところは近くの●●町です。」と流ちょうに答えました。この日の昼休み、クラスの多くがM君の周りに集まり、「北海道ってどんなとこ?」「今までどんな学校に行ったの?」などの質問責め。一方の、聞いたこともない土地からやってきた、『あのアパート』に住むごろう君の周りには、誰も近づいて来なかったことは、言うまでもありません。

ごろう君にとっては、ほろ苦いデビューとなりました。

田舎者ほど都会に出ると羽目を外す(余談)

それでも、ごろう君にとっては魅力いっぱいの都会暮らし。ここで悪い遊びを一つ覚えてしまいました。『スカートめくり』です。ちょうど、永井 豪の「ハレンチ学園」というマンガが流行っていたころでもあり、そろそろ思春期を迎えるごろう君は、大きな影響を受けてしまったのです。
最初のきっかけを作ったのは女の子たちの方でした。ごろう君の家では、マンガを買って読むという文化がありませんでした。マンガは、床屋さんの待ち時間で読むものだったのです。『ハレンチ学園』のことも知らなかったのですが、ある日、クラスの女の子からこのマンガを見せてもらい、『妙な気持ち』になってしまったのです。

初恋の相手Rさんをはじめ、ごろう君にとっての女の子は『清純』そのものだったはずです。それが都会の女の子は「これ読んだ?」と、ニヤッと笑いながらイケないマンガ本をごろう君に見せたりするのです。ごろう君は、どんどんイケない気持ちになっていきました。そしてある日、マンガの真似をして、仲良くなった女の子のスカートをめくってしまいました。驚いたことに、女の子たちは、怒るどころか『喜んでいる』ようにも見えました。そして、ごろう君の『スカートめくり』は、回数も、そして対象の相手も増えていきましたが、ごろう君は嫌われるどころか、女の子たちのちょっとした人気者になっていきました。不思議ですね!クラスの女の子たちは、その後も、『ハレンチ学園』最新号をごろう君のために購入してきてくれたり、放課後、教室のドアを閉めて、ジャンケンで負けた方が着ているものを1枚ずつ脱いでいくという『野球拳』という、とても危ない遊びまで覚えてしまいました。

さて、話が脱線してしまいましたが、ごろう君がここまで暴走したのは、おそらく『根が田舎者』だったからだと思います。都会で極端に羽目をはずのは、決まって田舎出身者のようですね。少し悲しい現実です。

夢のような都会の生活も終わりがくる

刺激的で魅力いっぱいだった都会のI小学校での2年間も、アッという間に終わり、ごろう君はまたまた佐賀県佐賀市に引っ越すことになりました。引っ越しは卒業式の1週間前ぐらい。ここで転校するのは現実的ではありません。ごろう君は、佐賀市から国鉄(今のJR)で、福岡市のI小学校まで電車通学することになりました。ごろう君は、イケない遊びを教えてくれた女の子の一人に密かに思いを寄せていましたが、それを告白することもなく、クラスの仲間と別れることになったのです。私立中学校や地元のS中学校へ進学していった仲間達。その後、彼らとは会うことも、連絡を取り合うこともありませんでした。

卒業式のその日、お母さんと二人で電車で学校に向かいました。式の後のクラス会の様子も、ごろう君の記憶にはまったく残っておらず、その後、お母さんと博多の街をブラブラ歩いて帰ったことぐらいしか覚えていません。その日のごろう君は、卒業の悲しみとは違った、喪失感で一杯だったような気がします。

中学校入学時に味わう逆カルチャーショック

ごろう君、坊主頭になる

佐賀市のJ中学校へ入学することになったごろう君を待っていたのは、『坊主頭にならなければならない』という現実でした。生まれて初めて坊主になったごろう君。『カッコ悪い!似合ってない!』と、とても辱められた気持ちになりました。そして入学後、クラスの雰囲気を見たごろう君、福岡のI小学校のころに比べれば、『進学』どころか、むしろ何年も学年が下がったかのような『幼稚さ』にがっかりしました。その落胆は、半月もすると感じなくなりましたが、田舎の純朴さを、当時のごろう君はまだ理解できなかったのです。

身についてしまった『よそ者意識』

中学生活が始まりましたが、ごろう君は、どこかこの学校に溶け込めない気持ちがあったのかもしれません。クラスの仲間とも一定の距離を取り、どこかニヒリストの態度漂わせる、ひねくれたマセガキになってしまいました。

そしてまた引っ越し もう転校はしない!

中学2年生の春休みのとき、またまた転校の話がやってきました。今度は、佐賀県北部にあるI市に引っ越すというのです。でも、おそらく1年後に通う高校は、中学校のある佐賀市の高校です。受験もあるのに、ここで転校する意味はほとんどありません。学校をどうするか決まらないまま、ごろう君の家の引っ越しは始まってしまいました。荷物の積み出しの最中、ごろう君から「僕の学校はどうすればよかと?」と聞かれたことが、ごろう君のお母さんの辛かった思い出の一つになっているそうです。

結局、ごろう君は、親戚の家に居候することになり、J中学校を卒業しました。でも、家族ばらばらの生活にもなり、中学3年生のときのごろう君は惰性で過ごしていたようです。成績も上がらず、素行もどちらかと言うと『不良』になってしまいました。バイクの無免許運転や喫煙・飲酒・パチンコなどの真似ごとまで始め、『もう、どうでもいいや』といった投げやりなごろう君でした。

後日、自分の中学時代を振り返り、ごろう君は何度も後悔することになります。もう少し素直に生きればよかったと。そして、周囲の友達にも、自分の態度が嫌な思いをさせたであろうことを申し訳なく思ったのです。

転校を経験した子どもは自立心と適応力が伸びる。一方で…。

子どもは、親の引っ越しや自分の転校を拒否することは出来ません。それより家族が大切だからです。結局、事情を理解し、自分に言い聞かせていくなかで、我慢する心、自立心、そして新しい環境への適応力といったものが育まれるものと思われます。

一方で、それまでの友達や愛着ある環境への『喪失感』とも闘わなければなりません。どんなに聞きわけが良いことを言っても、しょせんは子どもです。

今までいた学校でも、新しい学校でも、そして家庭でも、本人に対して『あなたは必要とされている』という実感を持たせてあげることが出来れば、転校を経験した子は、しっかりした人として成長できるものと思われます。

 

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