熊本県玉名郡長洲町腹赤の魅力発見! ~ネットDEダーツの旅~

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ごろう君 熊本県玉名郡長洲町腹赤(はらか)を旅する

佐賀県に住む陸奥 五郎(むつ ごろう)君。スマホの「ランダム行先決定ツール」というアプリを使って、気ままな『ネットDEダーツの旅』を楽しんでいます。

さて、本日の行先は?『熊本県玉名郡長洲町腹赤(はらか)』です!グリーンランド遊園地がある熊本県荒尾市のすぐ南に位置します。初めて聞く地名の「腹赤(はらか)」。今回は、どんな発見があるのでしょうか!?

まずは、上空から眺めてみました




腹赤(はらか)がある熊本県玉名郡長洲町腹赤は、有明海に面し、この海を挟んだ対岸には長崎県島原半島が見えます。互いの距離も近く、相互に行き来する「有明フェリー」も運行されています。

島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)とは

熊本長洲町と長崎島原との関係が話題になるとき、「島原大変肥後迷惑」という言葉が出てくることがあります。これは、1792年5月21日(寛政4年4月1日)に肥前国島原で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の熊本県)を襲ったこと(肥後迷惑)を表す言葉です。島原大変肥後迷惑による死者・行方不明者はおよそ15,000人とされていますが、そのうちの約3分の1にあたる5,000人以上が、長洲・天草などの肥後領側というものでした。「島原大変肥後迷惑」は、有史以来日本最大の火山災害のときに生まれた言葉なのです。

腹赤(はらか)という地名の由来

日本書紀の、景行天皇 九州巡幸(じゅんこう)から話が始まります。

  • 景行天皇18年5月 天皇が葦北(あしきた、今の日奈久と思われる)より船出して日暮れになった。その時、遠方に火の光を見つけて着岸した。そこは八代県の豊村(宇城市松橋町豊福?)であった。火の光の主を問うと、主は不明で、人の火ではなかったので、その国の名を『火の国』と名付けた。(日本書紀)
  • 腹赤の贄(はらかのにえ)…景行天皇巡幸の折、漁師が魚を釣って献上した。マスに似ているが名が分からない。天皇は『物の多いのをニベサニといういう。この魚も多いので”にべ魚(にべうお)”というべし』と名付けた。この事から天平15(743)年、宮中元旦の節会(せつえ、宴会)に腹赤の贄(はらかのにえ)を献上するようになったという。(肥後国風土記)

どうも腹赤(はらか)という地名の由来は以上の記述から来ているらしいのです。漁師が献上した「赤い腹の魚」というのは、鯛のこととされています。つまり「腹赤(はらか)」は、鯛のことなのでしょうね。


スタートは、腹赤郵便局前の県道112号線から


あまり広くはない県道。このあたりは旧来の街並みなのでしょうかね。

まずは、「ぼたもちさん」と呼ばれる立花闇千代の墓に向かってみることにします。

 

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