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1分で分かる!激動の昭和史 昭和16年(1941年)そのときあなたは?

昭和16年

目次 Contents

昭和16年(1941年)ってどんな年?

昭和16年、あなたが何歳だったか調べてみましょう

日本を変えた昭和16年の出来ごと

昭和16年(1941年)の概要

昭和16年(1941年)の動き

日米交渉を打ち切り,勝算のないまま太平洋戦争に突入

昭和16年(1941年)の川柳 回覧板仮名だけ読める子ものぞき 熊沢武雄

昭和16年(1941年)のプロ野球記録

優勝チーム 巨人(監督 藤本定義)
最優秀選手 川上哲治(巨人)
首位打者 川上哲治(巨人)
本塁打王 服部受弘(名古屋)
打点王 川上哲治(巨人)

昭和16年(1941年)の高校野球決勝戦

春 東邦商(愛知) 5-2 一宮中(愛知)
夏 予選開始後 戦争のため中止

昭和16年(1941年)の大相撲優勝力士

1月場所 横綱 双葉山
5月場所 大関 羽黒山

昭和16年(1941年)の内閣

~昭和16年7月16日 第二次 近衛文麿(華族)内閣
7月18日~10月16日 第三次 近衛文麿(華族)内閣
10月18日~ 東条英機(陸軍)内閣

昭和16年(1941年)の政治・経済

1.16 大本営陸軍部,「大東亜長期戦争指導要綱」及び「対支長期作戦指導計画」を策定。秋までに日中戦争を解決し,それ以後長期特久戦休制に移行して数年後に中国派遣の陸軍兵力を50万人に削減する内容を明記。
3.7 国防保安法公布。「敵性国の秘密戦的策勤を封殺して総力戦体制の強化を図る」ことを目的とした国家秘密保護法。
4.13 日・ソ中立条約調印(スターリン・松岡外相)。ソ連は独・ソ戦準備のため,曰本は南進政策の推進のため互いに調印。
4.16 政府,民間私案の「日米諒解案」を交渉の基礎として曰米交渉の正式開始を決定。
5.11 駐米大使野村吉二郎,ハル国務長官に(1)アメリカは中国から手を引くこと,(2)日本は三国同盟を厳守すること,③日本は南方進出について武力を用いないという保証をしないこと,の3条件を内容とする新提案を提出。
5.31 ハル国務長官,野村大使に,(1)全ての国家の領土と主権の尊重,(2)内政不干渉(3)通商上の機会均等を含む平等原則,(4)太平洋の現状維持,の4原則尊重を主張した非公式対案を提示。
6.6 大本営,「対南方施策要綱」を決定。仏印・タイに軍事基地の設営を企図。
6.25 大本営政府連絡懇談会,「南方施策促進に関する件」を決定(7.28南部仏印進駐開始)。
7.2 御前会議,連絡懇談会で決定した「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」の原案を正式に決定。対英米戦準備と対ソ戦準備の推進を明記。同時に大本営,関東軍特種演習の名で関東軍に合計70万人の兵力を集中動員(関特演)。
9.6 御前会議,「帝国国策遂行要領」を決定。対米外交交渉の期限を10月上旬,戦争準備完了の目標を10月下旬とし,実質的に日米戦を決定。
10.16 外交交渉継続の是非をめぐって近衛首相と東条英機陸相とが対立し,近衛内閣総辞職。
10.18 東条英機(陸軍人将)内閣成立。
11.5 御前会議,「帝国国策遂行要領」などを決定。大東亜新秩序建設のため対英・米・蘭戦争を決意し,武力発動の時期を12月初旬と決定。
11.26 ハル国務長官,日本軍の中国からの撤退を求めたハル=ノートを提示(実質的な最後通牒)。日米交渉,決裂へ。
12.1 御前会議,全員一致で開戦を正式に決定。
12.8 日木時間午前2時,日本陸軍,マレー半島に上陸開始。午前3時20分,日本海軍,ハワイ真珠湾空襲を開始。午前4時20分,野村大使,ハル国務長官に交渉打切りを通告(太平洋戦争始まる)。午前11時40分,宣戦の詔書公布。

昭和16年(1941年)の世界

1.6 ローズベルト大統領,言論表現の自由・信仰の自由・欠乏からの自由・恐怖からの自由からなる「4つの自由」に基づく将来の世界像を演説。
3.2 独軍,ブルガリア進駐。
3.11 米で連合国への武器貸与法成立。
3.27 ユーゴで反独軍部クーデター。中立政策を表明。
4.5 賀川豊彦・小崎道雄らのキリスト教界代表,平和使節として渡米。
4.6 独軍,ユーゴ・ギリシアに侵攻開始。 4.17ューゴ降伏。
4.23 ギリシア降伏。
5.6 ソ連首相にスターリン就任。
5.19 ベトナム独立同盟(ベトミン)結成(盟主ホー=チ=ミン)。反仏・反日民族解放闘争開始。
5.27 独潜水艦の米貨物船撃沈により米で国家非常事態宣言。
6.22 独軍,ソ連を奇襲攻撃。独・ソ戦始まる。
6.27 ユーゴ人民解放パルチザン部隊創設(司令官チトー)。
7.1 独・伊,汪兆銘政権を正式承認。 7.2国民政府,対独・伊国交断絶。
7.1 米で初の商業テレビ放送。
7.12 英・ソ相互援助協定調印(対独共同行動・単独不講和約束)。
8.3 米,ソ連への経済援助開始。
8.14 ローズベルト・チャーチル,大西洋会談で大西洋憲章を発表「4つの自由」を拡張。
9.3 独,アウシュビッツ収容所で最初の毒ガス処刑執行。以後,昭20年1月までに推定約99万人のユダヤ人殺害
10.2 独軍,モスクワを総攻撃。
12.8 独軍,モスクワ攻撃挫折。
12.8 米・英,対日宣戦布告。 12.9国民政府,対日・独・伊宣戦・布告。 12.11独・伊,対米宣戦布告。

昭和16年(1941年)の社会・文化

1.8 陸相東条英機丿戦陣訓」を示達。捕虜となるよりは自ら死を選ぶことを正当化。
1.16 大日本青少年団結成。高度国防国家体制建設の要請に応じ,学校教育と一体化した強力な訓練体制をめざす。
2.26 情報局,各総合雑誌に執筆禁止者の名簿を送付(矢内原忠雄・馬場恒吾・清沢冽・田中耕太郎・横田喜三郎ら)。
4.1 小学校を国民学校と改称し,国民科など5教科編成で,儀式や学校行事を重視,宮城遥拝や軍事教練を課す。
4.1 文部省,音階教育をドレミファからハニホヘトイロハに改定。
4.1 生活必需物資統制令公布。日用品の全般的統制をし,切符制に法的根拠を与える。
4.1 6大都市で米穀配給通帳制・外食券制実施。一般成人は1日2合3勺(約330g)。この後木炭や酒の配給制相次ぎ実施。
5.8 初の肉なし日実施。毎月2回,肉屋・食堂などで肉を不売とする。
6.20 国民貯蓄組合法施行。貯蓄奨励を法制化,国民の経済的負担が増大。
7.1 全国の隣組,一斉に常会。内務省,ラジオ番組『常会の時間』で運営方法を指導。
7.21 文部省が『臣民の道』を刊行,戦時下の国民道徳を解説。
8.2 大政翼賛会中央訓練部,みそぎ錬成講習会を開催。のちに「皇国民の錬成」のだめ,半ば強制的に実施。
8.30 軍事教練担当の現役将校,大学に配属。
9.1 東京市,砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の配給切符制実施(集成切符制)。
10.4 臨時郵便取締令公布。外国郵便物が開封検閲される。
10.7 朝鮮人330人余,山口県東川ダムエ事場で待遇改善を要求して罷業。この年の朝鮮人労働者の紛争は628件。
10.15 尾崎秀実,国際スパイの嫌疑で検挙さる。
10.18 ゾルゲら検挙(ソルゲ事件)。
10.16 大学・高等専門学校などの修業年限短縮を決定。
11.15 兵役法施行令改正公布(丙種も召集)。
11.17 東条首相の施政方針演説,録音放送(初の議会放送)。
11.22 国民勤労報国協力令公布。 14~40歳の男子と14~25歳の未婚女子の勤労奉仕義務を法制化。
12.10 東京の新聞・通信8社主催の米英撃滅国民大会開催,各地で米英撃滅運動盛ん。

昭和16年(1941年)の世相

1月 全国の映画館で,ニュース映画の強制上映始まる/長谷川時雨・円地文子らの「輝く部隊」,海軍文芸慰問団一行に加わって南支・海南島・仏印に出発。
2月 映画『支那の夜』で長谷川一夫と共演して人気を呼んだ李香蘭,日劇で公演。早朝から群衆が殺到し,瞥官隊出動。
5月 羽黒山,横綱に昇進/東京でたばこ不足。専売局,行列買いが不評で,空箱引換えで1人1個売りを厳守。7月 厚生省,団体旅行と全国的競技大会(神宮国民体育大会を除Oを中心/国鉄,3等寝台車を廃止,食堂車も制限/内務省,美術雑誌の第1次統合を命令(既刊全誌を廃刊,8誌に統合)/逓信竹,腿
弔電報の取扱いを中止。
8月 警視庁,婦人雑誌50数誌を16誌に統合。
9月 情報局,映画製作10社を松竹・東ま・人映の3社に整理統合/音楽雑誌の既刊全誌を廃刊,6誌に統合。
10月 乗用車のガソリン使用,全面禁止。
11月 井伏鱒二ら多数の文学者,軍報道爾としてビルマ・マレーなどに徴用。
12月 日米開戦により,新聞・ラジオの天気予報・気象報道を中止/米国映画8支社に閉鎖命令(『ガリバー旅行記』『アリゾナ』など密封)。
この年 宗教団体の統合が進む(教派神道13教派,仏教28宗派,キリスト教2教団に統合)/プラスチック製の歯ブラシ出現/国民学校で模型飛行機工作が正課となる/防空ずきん・もんぺ・ゲートルなどの非常時服装が目立つようになる/少女歌劇の男装の麗人,当局の指示により廃止。

昭和16年(1941年)の流行語

ABCD対日包囲陣/産業戦士

昭和16年(1941年)の流行歌

「戦陣訓の歌」徳山趙/「さうだそのな意気」霧島昇・松原操/「森の水車」高峰秀子

昭和16年(1941年)の話題の書物

下村湖人『次郎物語』第1部/三木清『人生論ノート』/高村光太郎『智恵子抄』/山本有三『路傍の石』/堀辰雄『菜穂子』

昭和16年(1941年)の映画

『戸田家の兄妹』松竹;小津安二郎監督・藤野秀夫/『馬』東宝;山本嘉次郎監督・高峰秀子/『江戸最後の日』日活;稲垣浩監督・坂東妻三郎/『次郎物語』日活;島 耕二監督・杉硲之
[洋画]『勝利の歴史』(独)/『スミス氏都へ行く』(米,戦前最後の米映画)



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昭和16年(1941年)の出来事年表

昭和16年(1941年)1月

昭和16年(1941年)2月

昭和16年(1941年)3月

昭和16年(1941年)4月

昭和16年(1941年)5月

昭和16年(1941年)6月

昭和16年(1941年)7月

昭和16年(1941年)8月

昭和16年(1941年)9月

昭和16年(1941年)10月

昭和16年(1941年)11月

昭和16年(1941年)12月

但し、アメリカ合衆国をはじめとする旧連合国を中心とする欧米諸国では、真珠湾攻撃の際の現地ハワイの日付である12月7日を開戦日とみなす

昭和16年(1941年)12月の教育

昭和16年(1941年)のスポーツ

昭和16年(1941年)の映画

昭和16年(1941年)の文学

  • 芥川賞
    • 第13回(1941年上半期) – 多田裕計 『長江デルタ』
    • 第14回(1941年下半期) – 芝木好子 『青果の市』
  • 直木賞
    • 第13回(1941年上半期) – 木村荘十『雲南守備兵』
    • 第14回(1941年下半期) – 該当作品なし

昭和16年(1941年)生まれの著名人

昭和16年(1941年)1月生まれ

昭和16年(1941年)2月生まれ

昭和16年(1941年)3月生まれ

昭和16年(1941年)4月生まれ

昭和16年(1941年)5月生まれ

昭和16年(1941年)6月生まれ

昭和16年(1941年)7月生まれ

昭和16年(1941年)8月生まれ

昭和16年(1941年)9月生まれ

昭和16年(1941年)10月生まれ

昭和16年(1941年)11月生まれ

昭和16年(1941年)12月生まれ


昭和16年(1941年)に亡くなられた著名人

昭和16年(1941年)にノーベル賞を受賞された方

フィクションに登場する昭和16年(1941年)

昭和16年(1941年)に起こったとされている出来事

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