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1分で分かる!激動の昭和史 昭和20年(1945年)そのときあなたは?

昭和20年 玉音放送

目次 Contents

昭和20年(1945年)ってどんな年?

昭和20年、あなたが何歳だったか調べてみましょう

日本を変えた昭和20年の出来ごと

昭和20年(1945年)の動き

戦局の悪化と敗戦,激しい変動が国民を翻弄
占領軍の手により「民主化政策」が次々と出される

昭和20年(1945年)の川柳 浅草で浅草を聞く焼野原 助川幸一

昭和20年(1945年)のプロ野球記録

戦争により中止

昭和20年(1945年)の高校野球決勝戦

戦争により中止

昭和20年(1945年)の大相撲優勝力士

5月場所 前頭筆頭 備州山(全勝優勝・最終優勝回数1回)

昭和20年(1945年)の内閣

~昭和20年(1945年)4月5日 小磯国昭(陸軍)内閣
4月7日~8月15日 鈴木貫太郎(海軍)内閣
8月17日~10月5日東久邇稔彦(皇族)内閣
10月9日~ 幣原喜重郎(外交官)内閣

昭和20年(1945年)の政治・経済

1.18 最高戦争指導会議「今後採るべき戦争指導大綱」を決定(本土決戦即応態勢の強化など)。
1.20 大本営「帝国陸海軍作戦大綱」を策定。本土防衛のため240万の防衛軍を編成し,本土決戦の準備を推進。
1.25 最高戦争指導会議丿決戦非常措置要綱」決定(軍需生産の増強・生産防衛態勢強化など)。
2.15 最高戦争指導会議丿世界情勢判断」を採択。6~7月頃に米は本土を攻撃し,ソ連の対日参戦の可能性もあると判断。
2.16 米機動部隊,硫黄島上陸作戦を開始(3.17占領,日本軍守備隊2万6000人玉砕)。
3.9 334機のB29,東京を空襲(~3.10)。本所・深川・浅草など下町40km2焼失,死者8万4000人,罹災者150万人,焼失戸数23万戸の大被害。 3.14大阪空襲,13万戸焼失(都市爆撃激イヒ)。
3.21 小磯首相,最高戦争指導会議懇談会で膠斌(汪兆銘政権考試院副院長)を通じて国民政府との和平交渉を提議。外柑重光葵・海相米内光政・陸相杉山元ら,強硬に反対(膠斌工作)。
3.30 大日本政治会結成(総裁南次郎陸軍大将・幹事長松村謙三。以前から幹部への不満が強かっ九翼賛政治会の解散後結成された政治結社)。
4.1 米軍・沖縄本島に上陸開始。戦闘用艦艇318隻・補助艦艇1139隻・参加兵力約50万人・上陸兵力18万3000人(6.23日本軍全滅。軍人軍属の死者約12万人,一般県民の死者約17万人)。
4.5 膠斌工作につき閣内対立,小磯内閣総辞職。
4.5 ソ連外相モロトフ,駐ソ大使佐藤尚武に日ソ中立条約の不延長を通告。
4.7 鈴木貫太郎(海軍大将)内閣成立。
5.14 最高戦争指導会議構成員,終戦工作の開始を決定(6.23広田・マリク会談,7.10近衛文麿のソ連派遣決定など)。
6.8 御前会議「今後採るべき戦争指導の基本要綱」を決定。本土決戦方針を採択。
6.22 戦時緊急措置法公布。軍需生産の増強,食糧の確保,防衛の強化,秩序の維持などに関して内閣に独裁権限を与える非常立法。
6.23 義勇兵役法公布。本土決戦に備え,男15~60歳,女17~40歳の者を国民義勇戦闘隊に編成。
7.28 鈴木首相,記者団に対しポツダム宣言(対日戦争の終結条件などに関する米・英・中の対日共同宣言)を黙殺し,戦争継続を表明。
8.6 B29,広島に原爆投下(年末までの死者推定14万人±1:万人)。
8.8 ソ連,日本に宣戦布告,満州への進撃を開始。
8.9 B29,長崎に原爆投下(年末までの死者推定7万人±1万人)。
8.10 午前2時30分,御前会議,国体維持を条件にポツダム宣言受諾を決定。
8.12 日本の降伏条件に関する連合国の回答公電到着(天皇制には直接ふれず)。
8.14 御前会議,ポツダム宣言受諾を決定。
8.15 天皇,戦争終結の詔書を放送(玉音放送)。鈴木内閣総辞職。陸軍の一部将校,近衛師団長森赳を殺害して終戦阻止の反乱。
8.17 皇族の東久邇稔彦(陸軍大将)内閣成立。
8.28 連合軍先遣隊,厚木飛行場に到着(8.30連合国最高司令官マッカーサー厚木に到着)。
9.2 米艦ミズーリ号艦上で降伏文書に調印(全権重光葵・梅津美治郎)。
9.11 GHQ,東条英機ら39人の戦争犯罪人の逮捕を命令。
9.22 米政府,「降伏後における米国の初期の対日方針」を発表。事実上の米国単独占領を規定。
9.27 天皇,マッカーサーを訪問。
10.2 GHQ(連合国総司令部),日比谷の第一生命相互ビルで執務開始。
10.4 GHQ,日本政府に対して「民権自由に関する指令」を発令(天皇に関する自由討議や政治犯釈放・思想警察全廃など)。 10.5東久邇内閣,同指令が実行不可能のため総辞職。
10.9 幣原喜重郎(元外相)内閣成立。
10.10 政府,政治犯439人の釈放を実行。
10.11 マッカーサー,幣原首相に民主化に関する5大改革(婦人の解放,労働組合の結成奨励,学校教育の自由主義化,秘密審問司法制度の撤
廃,経済制度の民主主義化)を指令。
10.13 国防保安法など廃止(弾圧法相次ぎ廃止)。
10.17 第2次大戦終了で,大赦・特赦等42万4434人。
11.2 戦前の社会民主主義者,社民系・日労系・労農系の統一組織として日本社会党を結成(書記長片山哲)。
11.6 GHQ,持株会社の解体に関する覚書を発表(財閥解体の端緒)。
11.9 旧政友会久原派,日本自由党を結成(総裁鳩山一郎)。
11.16 旧政友会中島派・旧民政党など,日本進歩党を結成(幹事長鶴見祐輔)。
12.6 GHQ,近衛文麿・木戸幸一ら9人の逮捕を指令。 12.16近衛文麿,服毒自殺。
12.9 GHQ,農地改革に関する覚書を発表。農地改革の発端。
12.17 衆議院議員選挙法改正公布。婦人参政権・大選挙区制などを規定。
12.22 労働組合法公布。団結権保障・団体交渉権保障などを規定。

昭和20年(1945年)の世界

1.17 ソ連軍,ワルシャワ解放。
1.27 ソ連軍,アウシュビッツ収容所に到着。生存者約7000人を救出。
2.4 ローズベルト・チャーチル・スターリン,ヤルタ会談開催(~2.11)。スターリン対日参戦を約束。
3.7 ューゴに人民政府樹立(首班チトー)。
4.12 ローズベルト米大統領死去(63),後任にトルーマン副大統領昇格。
4.23 ソ連軍,ベルリンに突入。
4.25 米・ソ両軍,独軍を分断(ェノレベの誓い)。
4.25 サンフランシスコで連合国全体会議開催(~6.26,50か国が参加)。 6.26国連憲章調印(10.24発効)。
4.28 ムッソリーニ,逮捕のすえ銃殺(61)。
4.30 ヒトラー,ベルリンの地下壕で自殺(56)。
5.2 ソ連軍,ベルリンを占領。
5.7 独軍,連合国に無条件降伏(5.8発効)。
6.1 米スティムソン委員会,日本への原爆投下をトルーマン大統領に勧告。
7.16 米,ニューメキシコで初の原子核爆発実験に成功。
7.17 トルーマン・チャーチル・スダーリン,ポツダム会談開催(~8.2)。 7.26ポツダム宣言発表(日本に無条件降伏を要求)。
7.26 英チャーチル内閣総辞職。
7.27 アトリー労働党内閣成立。
8.8 ソ連,対日宣戦布告。北満州方面を中心に侵攻開始。関東軍,総崩れとなる。
8.13 世界シオニスト会議,ュダヤ人100万人のパレスチナ移住を要求。
8.14 中・ソ友好同盟条約調印。
8.15 日本無条件降伏し,第2次世界大戦終わる。
8.17 インドネシア共和国独立宣言。
8.19 ハノイで蜂起,ベトナム革命。 9.2ベトナム民主共和国臨時政府(主席ホー=チ=ミン)が独立を宣言,反仏闘争を開始。
9.2 連合国軍最高司令官マッカーサー,在朝鮮の日本軍に対し38度線を境に米・ソ両軍への降伏を指令(南北朝鮮の分立開始)。
9.12 ソウルで朝鮮共産党再建大会。
9.25 パリで第2回世界労働組合会議開催。
10.13 中国内戦,再び激化。
10.14 平壌で金日成帰国歓迎市民集会。 10.16李承晩,米から帰国,南朝鮮の指導者となる。ソ連,北朝鮮の行政権を北朝鮮指導者に移管。
10.17 国民党軍,台湾に上陸。
10.21 仏,制憲議会選挙で共産党第1党に。 11.21 ド=ゴール連立内閣成立。
10.24 国連憲章,20か国で批准完了して発効,国際連合正式に発足。
11.15 米・英・加3国首脳,原子力に関する共同宣言発表(原子力平和利用・国際管理を提唱)。
11.20 ニュルンベルク国際軍事裁判開廷(~昭21.10.1)。
11.29 ューゴ制憲議会,王制を廃止し,連邦人民共和国を宣言。
12.16 米・英・ソ3国モスクワ外相会議(~12.26)。旧枢軸国の占領・講和問題・極東問題を討議。 12.27モスクワ宣言発表。朝鮮信託統治・極東委員会・対日理事会設置などで合意成立。
12.27 重慶で,国共正式会談開始。
12.27 ブレトンウッズ協定発効,国際通貨基金(IMF),国際復興開発銀行(世界銀行)の設置を決定。

昭和20年(1945年)の社会・文化

1.13 愛知県を中心に東海地方に大地震。死者1961人,家屋全壊1万2142戸(三河地震)。
2.16 軍・公務以外の,京浜地区に着,または通過する乗車券の発売全面停止。
3.6 国民勤労動員令公布。国民徴用令などを廃止・統合。労働力の根こそぎ動員。
3.13 囚人141人による刑政憤激挺身隊,錦糸公園付近の戦災遺体処理に初出動。1穴200体収容の大穴10個に遺体搬入,埋葬。
3.18 政府「決戦教育措置要綱」で,国民学校初等科以外の授業を4月から1年間停止。
4.1 米潜水艦,台湾海峡で貨客船阿波丸を撃沈,死者2044名,生存者1名。 7.5米政府,戦後の賠償協議の意向表明。
4.24 名古屋城の金のシャチホコ,疎開のため取外される。 5.14名古屋城爆撃により,疎開の遅れたシャチホコの雄は焼失。
5.28 東京の5大新聞,共同形式で印刷,「共同新聞」の標題が加えられる。
6.18 沖縄島前線で,負傷兵岩護に従事した師範女子部と第1高女の生徒49人が集団自決(沖縄戦での集団自決が相次ぐ)。昭21.3.1ひめゆりの塔建立。
6.30 花岡鉱山事件。秋旧県花岡鉱山で強制連行の中国人労働者850人が収容所を脱走。軍隊・警察・在郷軍人会が出動し,弾圧。
7.8 横浜地検,馬鈴薯窃盗工員を撲殺した警防団員を,準正当防衛として起訴猶予。
7.11 主食の配給,1割減の2合1勺となる。
7.15~8.15 政府,1等10万円の富くじ「勝札」売出し。 8.25抽選の予定は敗戦で中止。
8.1 タバコの配給,1日5本から3本に減る。
8.6 移動演劇隊「桜隊」,広島で被爆,丸山定夫ら9人死亡。
8.9 戸坂潤,急性腎臓炎で長野刑務所で獄死。
8.12 北村サヨ,山口県田布施町で天照大神宮教(踊る宗教)を開教。
8.15 敗戦の詔書を聞き,二重橋前の玉砂利に正座し頭をたれる人が終日続く。
8.18 内務省,占領軍向け性的慰安施設設置を指令。 8.26特殊慰安施設協会(RAA)設立。 8.27「小町園」が大森海岸に開業。
8.20 3年8か月ぶりに灯火管制解除。
8.22 ラジオの天気予報復活。
8.22 尊攘同志会員ら12人,愛宕山で集団自爆。以後,右翼関係者の自殺が相次ぐ。
8.22 ソ連の潜水艦,樺太からの引揚船3隻を撃沈。死者1708人。
8.23 陸海軍の復員開始。
8.23 「進駐軍を迎える国民の心得」論告。外国軍に対する女子の自覚等を指示。
8.24 下北半島で強制就労中の朝鮮人4000人を釜山に送還中の浮島丸,舞鶴湾で爆沈,死者550人。
9.3 英人記者バーチェット丿広島における大惨状」(ノーニモア=ヒロシマ)を打電し,世界に被爆地の実情を報道。
9.8 米軍,ジープで東京に進駐。
9.10 GHQ,「言論及び新聞の自由に関する覚書」交付,占領軍などに関し報道制限。
9.15 文部省,「新日本建設の教育方針」を公表し,国体護持・平和国家建設・科学的思考力の養成を強調。
9.20 文部省,中等学校以下の教科書の戦時教材の削除を通牒。教室では児童らが筆と墨で教科書を塗りつぶす。
9.25 復員第1船高砂丸,メレヨン島から別府に帰港(陸海軍部隊1628名)。
9.26 三木清,東京拘置所で獄死。
9.30 大日本産業報国会が解散。
10.9 GHQ,東京の5大新聞の事前検閲開始。
10.15 在日朝鮮人連盟結成。
10.23 読売新聞社従業員大会,社内の戦争責任者の退陣と社内民主化を決議して争議(第1次読売争議。生産管理戦術採用)。
10.25 警視庁,待合・バーなどの営業を許可。
10.29 第1回宝くじ発売(1枚10円,1等10万円)。
11.1 日比谷公園で餓死対策国民大会。この頃餓死者続出,上野駅で1日最高6人。
11.17 生鮮食料品の配給,価格統制の撤廃が決定される。
11.18 全早大対全慶大の対抗野球戦(占領軍に接収された神宮外苑野球場を借用)。
11.19  GHQ,超国家主義的・軍国主義的・封建主義的思想の映画236本の上映禁止と焼却を指令。
11.23 プロ野球東西対抗戦(神宮外苑野球場,13対9で東軍の勝ち)。
12.8 共産党ほか5団体戦争犯罪人追及人民大会を開催。
12.15 上野駅地下道の浮浪者2500人を一斉収容(「狩り込み」。以後繰り返し実施)。
12.29 第1次農地改革。不在地主の全小作地と在村地主の5町歩をこえる小作地の強制譲渡など(昭21.11第2次農地改革)。
12.31 GHQ,修身・日本歴史および地理の授業停止と教科書回収に関する覚書を交付。

昭和20年(1945年)の世相

2月 戦局の悲化を反映して,敗北的なデマが増加。東京で1月以来40件余りが検事局に送致された。
3月 東京大空襲で,明治座・国民新劇場・浅草国際劇場など焼失。以後,中座・角座・文楽座・歌舞伎座など次々に消失/大都市の空襲に備えて疎開強化,学童・
母子などの緊急疎開が相次ぐ/強制連行による朝鮮人労働者,全国炭鉱労働者数の33%を占める(14年から敗戦までの連行朝鮮人72万5000人)。
4月 ラジオの放送時間短縮,番組も簡略になり,報道中心となる(昼はニュースだけ)/森本薫『女の一生』初演(渋谷東横劇場。主演杉村春子が評判)。
6月 日響,戦前最後の定期演奏会開催(尾高尚忠指揮。ベートーベン「第9交響曲」)
8月 15日より1週間,全国の映画・演劇の興行停止を申し合わせ/占領軍の進駐に対して,横浜方面で婦女子の疎開が盛ん/映画公社,敵がい心を煽り,戦闘場面を描いた映画の配給を中止。
9月 東京劇場で戦後初興行(市川猿之助一座の『黒塚』『弥次喜多東海道膝栗毛』)。大阪歌舞伎座・京都南座なども開場/放送電波管制解除。オールウェーブ受信機の使用解禁/日本放送協会,歌謡曲や軽音楽の放送を再開/「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」という隣組回覧板が出される/『日米会話手帖』刊/盛り場にバラック建てのヤミ市が登場。青空市場として,食料品や軍需工場の放出物資に人々が集まる/銀座の服部時計店・東芝ビル,占領軍のPXとして接収。
10月 占領軍の要因専用列車運転(以後「白帯車両」として運転)/戦後企画映画の第1作『そよ風』(松竹)封切。並木路子の歌う主題歌「リンゴの歌」が流行/松竹歌劇団,戦後第1回公演(浅草大勝館)/夕張炭鉱で,6000人の朝鮮人労働者,待遇改善を要求してスト。
11月 青山虎之助,ざら紙で無綴じの『新生』を創刊。即日13万部売切/GHQ,『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段(東京劇場)を,反民主主義的として中止命令/ラジオの新番組『座談会』放送開始(第1回のテーマは「天皇制について」)。
12月 ラジオ番組『真相はかうだ』放送開始(日本人が知らされていなかった戦争中の事実が取上げられた)/俳優座・文学座・東芸などの新劇団の合同公演(チェーホフ『桜の園』,有楽座)。
この年 戦災による文化財の被害,名古屋城・徳川家康廟など国宝293件・史蹟名勝天然記念物44件・重要美術品134件(昭21.7.1文部省発表)/離職者1234万人(12.4厚生省発表)/リンタク登場/メチルアルコールによる死亡者続出。

昭和20年(1945年)の流行語

神州不滅/一億玉砕/ピカドン/一億総ざんげ/ポツダム少尉/復員/虚脱状態/進駐軍/マッカーサーの命により/4等国/パンパン

昭和20年(1945年)の流行歌

「お山の杉の子」安西愛子ほか/「かくて神風は吹く」高倉敏・近江俊郎/「電撃隊出動の歌」霧島昇・波平暁男/「男散るなら」霧島昇・近江俊郎/「フィリッピン沖の決戦」伊藤武雄/「台湾沖の凱歌」近江俊郎・朝倉春子/「神風特別攻撃隊の歌」伊藤武雄・安西愛子/「同期の桜」/「リンゴの歌」霧島昇・並木路子

昭和20年(1945年)の話題の書物

太宰治『お伽草紙』/高村光太郎『一億の号泣』/火野葦平『陸軍』『悲しき兵隊』/宮本百合子『新日本文学の端緒』/森正蔵『旋風二十年』/正宗白鳥『文学人の態度』/室伏高信『新生の書』/穂積重遠『戦後女性訓』

昭和20年(1945年)の映画

『勝利の日まで』東宝;成瀬巳喜男監督・山田五十鈴・市丸・徳川夢声・古川緑波・高峰秀子/『必勝歌』松竹;マキノ正博ほか監督・松竹オールスター/『そよ風』松竹;佐々木康監督・上原謙・並木路子/『続・姿三四郎』東宝;黒澤明監督・藤田進・轟夕起子・大河内伝次郎/『愛と誓』東宝・朝鮮合作;今井正・崔寅奎監督・高田稔・竹久千恵子・独銀麒

昭和20年(1945年)の物価

白米(2等10kg)3円57銭/小麦粉(10kg)4円/とうふ20銭/コーヒー5円/醤油(1升)1円7銭/鉛筆(1本)20銭/小豆(1升)72銭/東京大学授業料(年間)150円/上野一青森間鉄道旅客運賃20円/駅弁(幕の内)50銭/相撲観覧料(正面桟敷1人当り)30円/牛肉(100g)80銭



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昭和20年(1945年)の出来事年表

昭和20年(1945年)1月

昭和20年(1945年)2月

昭和20年(1945年)3月

昭和20年(1945年)4月

昭和20年(1945年)5月

昭和20年(1945年)6月

昭和20年(1945年)7月

昭和20年(1945年)8月

昭和20年(1945年)9月

昭和20年(1945年)10月

昭和20年(1945年)11月

昭和20年(1945年)12月


日本への空襲関係

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

昭和20年(1945年)が周年となるもの

昭和20年(1945年)の音楽

昭和20年(1945年)の文学

昭和20年(1945年)のスポーツ

(戦争のため開催中止)

(大相撲は、終戦後に再開されたため、1945年は夏場所からの開催となる)


昭和20年(1945年)生まれの著名人

昭和20年(1945年)1月生まれ

昭和20年(1945年)2月生まれ

昭和20年(1945年)3月生まれ

昭和20年(1945年)4月生まれ

昭和20年(1945年)5月生まれ

昭和20年(1945年)6月生まれ

昭和20年(1945年)7月生まれ

昭和20年(1945年)8月生まれ

昭和20年(1945年)9月生まれ

昭和20年(1945年)10月生まれ

昭和20年(1945年)11月生まれ

昭和20年(1945年)12月生まれ


昭和20年(1945年)に亡くなられた著名人

日付不明

昭和20年(1945年)にノーベル賞を受賞された方

フィクションに登場する昭和20年(1945年)

昭和20年(1945年)に起こったとされている出来事

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