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大ヒット作 映画『グラン・ブルー』のルーツは日本にあった!

グランブルー

目次 Contents

映画グラン・ブルー(Le Grand Bleu)

1988年に公開されたフランスとイタリアの合作映画『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)。監督はリュック・ベッソン氏。
この映画は、フリーダイビングの世界記録に挑む2人のダイバーの友情と軋轢、そして海に生きる男を愛してしまった女性の心の葛藤を描く海洋ロマンです。ストーリーもさることながら、海中の映像の美しさに、一度 観たら脳裏に深く残る秀作と言えるでしょう。
この映画は、10代からダイビングに親しんできたベッソン監督が、長年の夢だった“イルカに魅せられた潜水夫ジャック・マイヨールの物語”を、同名で実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの協力を得て映画化したものです。

映画『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)の あらすじ

1965年。エンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)は素潜りが得意なガキ大将。ギリシャのキクラーデス諸島で8歳のジャック・マイヨール(ジャン=マルク・バール)は出会い、二人はそこで初めて素潜りを競います。エンゾとは対照的に物静かで消極的なジャックは、潜水士の父が溺死しことこで、ますます自分の殻にこもるようになります。
時は流れて1987年。一流のダイバーとなったエンゾは、稼いだ金をつぎ込んでジャックの行方を探していました。ジャックと共にダイビング選手権に出場して、そこで勝利することがエンゾの夢になっていたのです。
ニューヨークで働く保険調査員ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)は、自動車事故の調査でペルー・アンデス山脈の高地にいました。そこで彼女は、氷結した湖に酸素ボンベもなしに数十分も潜水するジャックと出会います。彼こそがエンゾが捜していた求めていたジャックでした。ジャックは、水族館のイルカだけを友として静かに暮らしていたのです。ジョアンナは彼の不思議な魅力に惹かれます。そして、故郷へ帰ったジャックの後を追いかけるようにヨーロッパへの旅に出るのです。
やがてエンゾはジャックをシチリアの競技会に誘い出し、念願のダイビング対決をしますが、結果はエンゾの負け。ジャックへの対抗心に燃えるエンゾは、無謀な記録に挑み命を落としてしまいます。
ジャックは、エンゾの魂に引かれるかのように、深夜の海に一人潜って行こうとします。このとき、ジャックの子どもを宿したジョアンナは、ジャックを引き留めようとしますが、彼の海への想いを止めることは出来ませんでした。
やがて人間の限界を超える深海に達したジャックの目の前に、一匹のイルカが現われ、彼を底知れぬ深淵へと誘って行きます。

映画『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)の登場人物


グラン・ブルーのルーツは、何と日本に!

この 天才ダイバー ジャック・マイヨール(Jacques Mayol)氏のダイビングの原点が、実は、日本の佐賀県唐津の海にあったことはご存知でしょうか?

そのことは、唐津市のホームページにも掲載されています。以下、内容を転載。

海の哲学者「ジャック・マイヨール」

人類が海へ還ることへの可能性を探った人生

ジャック・マイヨール(Jacques Mayol)1927年~2001年

フリーダイバー、海洋冒険家

1927年に、フランス人建築家の二男として上海のフランス租界で生まれました。当時、上海と長崎の間には定期航路があり、ジャックの一家は毎夏唐津の虹の松原で休暇を過ごしました。
1937年、10歳の時に唐津の七ツ釜で初めてイルカに出会い、このことが彼の一生を左右する原体験となります。当時(昭和10年ごろ)、虹の松原の中には外国人専用の木造のホテルがいくつかあり、リゾート地としてにぎわっていました。ジャックの一家は「あずまやホテル」に逗留(とうりゅう)していました。

しかし、1930年代後半になると戦雲が立ちこめ、日本の軍国主義はすべての西欧的なものを排除していくようになり、一家で日本を訪れる事はなくなりました。
1971年、76mという驚異的な素潜りの記録を樹立し、その年に唐津を再訪しダイバーの高島篤志(たかしまあつし)と出会いました。

その20数年後、NHKのテレビ番組制作のためジャックは再び唐津を訪れ、高島さんと再会します。高島さんは今や有名なダイバーであり、また海洋写真家ですがその後のジャックの唐津訪問の度に付き添って一緒に行動し潜っていました。

1976年、49歳の時、イタリア・エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録を作りました。
1983年(55歳)、水深105mを達成し、以後6年間、この記録は破られませんでした。
1988年、自伝をもとにした映画「グラン・ブルー」がリュック・ベッソンにより製作され、世界中の人にその存在を知られることになりました。

2001年7月が、最後の来唐となりました。
同年12月、イタリア・エルバ島の自宅の部屋で自死しているのが発見されました。

地図・写真・統計資料など

ジャック・マイヨール(1927~2001)
(『唐津探訪』より)

引用・参考文献(出典)

  • 著作
    『イルカと海に帰る日』(原題:ホモ・デルフィナス、訳:関邦博)
    『海の記憶を求めて』(兄ピエールとの共著)
    『イルカと、海に還る日』(ピエール・マイヨール、パトリック・ムートン著)
  • 関連映画
    『BlueSymphonyブルーシンフォニージャック・マイヨールの愛した海』製作:産学共同映像研究所有限責任事業組合/東京大学/大学院情報学環/唐津市2008年10月東京国際映画祭招待作品

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。
資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。
電話番号:0955-72-3467

海の哲学者「ジャック・マイヨール」

海の哲学者「ジャック・マイヨール」PDFデータ(PDF:225KB)


ここがルーツの地 佐賀県唐津 七ツ釜

国の天然記念物にも指定されている佐賀県唐津市七ツ釜(ななつがま)は、玄武岩がその波の荒々しさで知られる玄界灘(げんかいなだ)の荒波にさらされ浸食されてできた景勝地です。断崖は深くえぐられ、その名の通り7つの洞窟が並列し、自然の驚異を感じさせてくれます。
最大の穴で間口が3m、奥行きが110m。遊覧船でじっくり見学できます。七ツ釜の上は草原となっていて展望台や遊歩道が整備され、多くの観光客で賑わっています。また、七ツ釜の近辺は釣人にも人気のフィッシングポイントです。
岬の北端には神功皇后が朝鮮出兵の戦勝祈念の時、土器を捨てた場所との伝承があり、皇后を祀る土器崎神社があります。

アクセス

観光遊覧船

マリンパル呼子 TEL 0955-82-3001
呼子港から1時間毎に出港し、所要時間40分の七ツ釜周遊をお楽しめます。

おまけ 佐賀県唐津市呼子と言えば!

呼子の言えば、知る人ぞ知る「イカの活き作り」がおすすめです。人気店は、元祖 河太郎。詳しい説明はいりません。ぜひ一度、ご賞味ください。

いか活造り発祥「河太郎」呼子店

 

 

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