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結婚っていいな!渡辺裕之・原日出子ご夫妻

渡辺裕之原日出子アイキャッチ

目次 Contents

「パートナー・オブ・ザ・イヤー2001」受賞のお二人

渡辺裕之さん、原日出子さんご夫妻は、毎年「いい夫婦の日」をすすめる会11月22日に理想のカップルとして表彰する「パートナー・オブ・ザ・イヤー2001」に選ばれました。
選出には、一般の方からの投票で3組に絞られ、その後「いい夫婦の日をすすめる会の企画委員会」がベストカップルを決定するシステムになっています。

ご夫妻に投票した一般の方の声には、“美男美女の微笑ましい大人のカップル”“奥様は再婚でお子さんもいるが、そのお子さんに対して本当の親子以上に慈しみ合っている”“2001年度の24時間テレビ(NTV)で、家族を大切にするお二人に感激した”などがあったそうです。

また、いい夫婦の日をすすめる会の企画委員会では、2001年度は「いい夫婦の暮らし方の質の向上」をテーマに、夫婦で過す時間やファッションの啓蒙を掲げていることから、洗練された大人のカップル、という観点から、渡辺裕之さん原日出子さんご夫妻を選んだとしています。

お二人のなれそめ

渡辺裕之さんと原日出子さんとの出会いはドラマの共演で、なんとその作品でのお二人の配役は「恋人同士」の設定だったそうです。
お二人の馴れ初めは、新幹線移動中に渡辺裕之さんから原日出子さんに交際を申し込んだとのことで、プライベートでも恋人関係に発展していったようです。後日、渡辺裕之さんは「結婚前から胃袋をつかまれていました」と、原日出子さんの手料理に惚れ込んだことを告白しています。

さて、原日出子さんは渡辺裕之さんとの結婚が初めてではありませんでした。その約10年前の1983年、高校時代の同級生だった男性と、23歳のときに結婚。お子さまもいらっしゃいますが、いわゆる「できちゃった婚」だったとの噂もあります。その結婚生活は長続きせず、約3年で離婚しておられます。

渡辺裕之さんと原日出子さんとの結婚は、1994年。渡辺裕之さん39歳、原日出子さん35歳のときでした。

その後は、原日出子さんのお子さまも含め、ご夫婦、ご家族、大変仲が良く、『芸能界きってのおしどり夫婦』と言われるほどのお二人です。

原日出子さん 40代で更年期障害を発症

それは、2013年11月12日放送、テレビ朝日の番組『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学 名医が警告!今急増している病気ランキングSP』という番組で、みんなが知ることとなりました。『原日出子 夫婦で乗り越えた病との戦いの記録』という再現ドラマが流れたのです。それは、更年期障害を夫婦で克服した女優・原日出子・渡辺裕之夫妻の、壮絶な病との闘いをつづったものでした。ドラマで、更年期障害との闘病について、原日出子さんや渡辺裕之さんが語っています。

更年期障害の症状が出始めたのは、原日出子さんが44歳の時でした。ある日突然、動悸と息切れに襲われた原さんは、明らかに体調の異変を感じ、何か悪い病気かと思って内科に行きます。「鉄欠乏症貧血」という診断で薬を処方してもらったものの、一向に治る気配はありません。とうとう抑うつ状態になってしましました。

それでも、当時は女優の仕事をしながら、一切サボることなく、家事も一生懸命こなし、体調が悪いことは家族には黙っていたそうです。

徐々に症状は悪化し、笑うことが出来なくなる原日出子さん。テレビの前に立てなくなるという、辛い経験にあうこともしばしば出てきました。

このころの様子を、原日出子さんは

  • 二階の寝室に行くにも息切れがして上がれない
  • 冷えて歯がガタガタなる
  • 夜は眠れない
  • 生理のたびに全身汗びっしょり
  • トイレで倒れる

などと振り返っています。

ご家族から見ても、体調が悪いのは明らかで「大丈夫?」と心配されたそうですが、「大丈夫じゃないから、こうなってるんじゃないの!」とイライラが余計に募るばかり。その繰り返しのまま3年が過ぎていきます。

自分一人で抱えることに限界を感じ、精神的にボロボロになったころ、テレビで女優の奈美悦子さんも更年期障害で苦しんでいたこと知り、奈美さんに相談することにしました。
原日出子さんは、奈美悦子さんも自分と同じく、誰にも言えずに苦しかった時期があったということを知ります。奈美さんから励まされた原さんは、奈美さんのアドバイスを受けて病院に通いはじめ、家族に更年期障害のことを打ち明ける決意をしました。

夫の、渡辺裕之さんにも初めて詳しい症状を話します。すると、渡辺さんは『僕は何をしたらいい』と優しく接してくれ、洗い物やゴミ出しなど、原さんに見られないように、心の負担にならないように陰で支えてくれたそうです。

こうして自分の時間を取り戻せた原日出子さん、症状は10年近くも続きましたが、周囲の協力もあり、少しずつ 改善の方向へ向かっていきました。

■44歳:不調を感じ、何か重大な病気ではないかと悩む。
■45歳:貧血、動悸・息切れ、冷え、不眠、冷や汗など、さまざまな症状。更年期の不調だとわかってはいるものの、何もできず、休みの日は家に引きこもり、うつ状態に。
■47歳:先輩などにカミングアウトし、気持ちが楽に。
■48歳:食生活によって体調がよくなることを実感。
■50歳:生理がまばらに。体調が徐々によくなる。
■53歳:閉経。健康でも、人生のMAXまで太ってしまう。
■54歳~56歳:健康に関する知識を深める。食事と運動による緩やかなダイエットで、健康に磨きをかける。(出典元:集英社)


渡辺裕之さんについて

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渡辺裕之(わたなべ ひろゆき、1955年12月9日 – ) 日本の俳優。身長は176cm、体重は67kg。血液型はB型。所属事務所はユニコン株式会社。

3人兄姉の長男(弟1人、妹1人)。茨城県水戸市出身。拓殖大学商学部経営学科卒業。妻は女優の原日出子。現在は神奈川県在住。

渡辺裕之さんの略歴

大学時代にはルフトハンザドイツ航空でアルバイトしたことでドイツ語を学んだ

1980年にコカ・コーラのテレビコマーシャルで芸能活動を開始。2年後に出演した大正製薬の「リポビタンD」CM中で使われた「ファイトー!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズが同商品の200億本販売の原動力となり、同時に自身の端整な顔立ちと鍛え上げられた肉体も話題となり、一躍人気を博す。

俳優としてのデビューは、映画『オン・ザ・ロード』(主演)。白バイ警官を演じた。テレビドラマでは『愛の嵐』で二枚目俳優ぶりを発揮し、「嵐シリーズ(グランドロマン)」全3作に出演したことで有名(特に高木美保とのコンビはゴールデンコンビと呼ばれた)。以降、役者・スポーツマンとして幅広く活躍。任侠ものを中心としたオリジナルビデオでの活躍もあり、固定ファン層から多大な支持を得ている。

妻とのおしどり夫婦ぶりは芸能界でも屈指(原は子連れの再婚であったが、渡辺は実子のように育てている)。

ゴルフの腕前も相当で、『ゴルフの真髄 -ARTISTIC GOLF-』などに出演している。

2007年1月11日の夕方、東名高速道路で人命救助を行っていたことが、明らかになった。これは、下り車線の東京料金所(神奈川県川崎市)付近で道路の金属製ジョイントが破損し、それに乗り上げた軽ワゴン車が横転した事故であった。帰宅途中だった渡辺が目撃して車を止めて駆け寄ったところ、男性運転手は動転し、後部座席に乗っていた男性は動けない状態だった。そこで渡辺は自分の携帯電話ですぐに110番と119番通報をして、後部座席の男性を事故車から救出、自分の車の中にあった毛布を掛け、救急車とパトカーの到着後、警察官に状況説明をした。渡辺によると「もしガソリンが漏れていれば引火の可能性もあったわけで、一刻も早くということで救い出した。」とのことであった。当初、渡辺は騒ぎになることを避けるため、自身が芸能人であることを黙っていたが、駆けつけた警官に「『オン・ザ・ロード』見てました」と言われ、正体がばれてしまった。

第3回Yahoo! JAPAN文学賞受賞作を映画化した短編映画『雪の花』にて、原日出子と初めて夫婦役で夫婦共演を果たした。同作は2009年12月13日にテレビ朝日で放映された。

2017年、木村ひさし監督と江頭美智留脚本で話題となった連続ショートドラマ『あじさい』に出演。

渡辺裕之さんの資格・特技

自身の描いたイラストがテレビ番組のタイトルに使用されるなど、芸術面での才能も豊かな渡辺はその多趣味ぶりも有名で、それに伴い数多くの資格を取得している。

渡辺裕之さんのエピソード

渡辺裕之さんの出演作品

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

アニメ

洋画吹き替え

テレビコマーシャル

ゲーム

スポーツ番組

その他

渡辺裕之さんの受賞歴

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原日出子さんについて

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原日出子(はら ひでこ、1959年11月10日 – ) 日本の女優、タレント。本名:渡辺 典子(旧姓:馬込)。夫は俳優の渡辺裕之。ユニコン所属。現在は神奈川県在住。

原日出子さんの略歴

東京都武蔵野市吉祥寺で青春時代を過ごす東京都立久留米西高等学校卒業。日本工学院専門学校中退。

劇団四季の研究生として女優デビュー。1980年の特捜最前線 第160話「復讐I・悪魔がくれたバリコン爆弾!」のりょう子 役、1979年には『夕焼けのマイウェイ』で映画に初出演する。この時期、数多くのテレビドラマや映画のオーディションを受けていた。

1980年のポーラテレビ小説『元気です!』の主役を宮崎美子と争う形となったが結果として敗れ、ヒロイン役である宮崎のライバル的な役柄で出演する。1981年にNHKの連続テレビ小説『本日も晴天なり』の主演に抜擢されブレイク。同年に歌手デビューし、『約束』『青いラプソディー』などの曲を発表する。カティ・サークのヌードカレンダーにも出演して話題になった。

1983年、高校時代の同級生と結婚し1女をもうけるが、1987年に離婚。1994年に渡辺裕之と再婚する。のちに1男1女が誕生。2001年に「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。現在、1男2女の母である。

第3回Yahoo! JAPAN文学賞受賞作を映画化した短編映画『雪の花』にて、渡辺裕之と初めて夫婦役で夫婦共演を果たした。同作は2009年12月13日にテレビ朝日で放映された。

2019年、映画『鈴木家の嘘』で第33回高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞する

原日出子さんの出演作品

テレビドラマ

映画

バラエティ・情報番組

舞台

吹き替え

CM

原日出子さんのディスコグラフィー

シングル

  1. 夕焼けのマイ・ウェイ (1980年)
    作詞:加藤日出男/作曲:山崎泉/編曲:山崎泉
    (c/w 9月のある日、友だち)
  2. 約束 (1981年11月)
    作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平
    (c/w 青い手紙)
  3. 青いラプソディー (1982年)
    作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平
    (c/w 無風都市)

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そして今の 渡辺裕之さん 原日出子さん ご夫妻

いつまでも仲睦まじいお二人。最近のご活躍は、渡辺裕之さんの公式ホームページや、原日出子さんの公式ページなどで見ることができます。渡辺裕之さんの公式ブログ原日出子さんの公式ブログもありますが、お二人ともお忙しそうで投稿数は多くはなさそうです(笑)。それよりも、渡辺裕之さんのFacebookページや、渡辺裕之さんのインスタグラム、原日出子さんのインスタグラムなどは、近況を知るには便利です。

出典:原日出子さんInstagram

出典:渡辺裕之さんFacebook

 

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