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結婚っていいな!中村芝翫・三田寛子ご夫妻

中村芝翫三田寛子夫婦アイキャッチ

目次 Contents

「パートナー・オブ・ザ・イヤー2000」

「いい夫婦の日」をすすめる会が、毎年11月22日に選ぶ理想のカップル。「パートナー・オブ・ザ・イヤー2000」として選ばれたのは、中村芝翫(なかむらしかん・受賞当時は三代目 中村橋之助)・三田寛子夫妻でした。一般公募期間は約2ヶ月間。はがき、インターネット、携帯サイト、FAXで寄せられた応募総数は30,205件。その後、上位3位から「パートナー・オブ・ザ・イヤー審査委員会」で協議され、2000年にふさわしい理想のカップルとして中村芝翫・三田寛子夫妻が「パートナー・オブ・ザ・イヤー2000」に決定したそうです。
ご夫妻に投票した理由では“ほのぼのとした微笑ましいカップル”、“お互いに思いやりを持っている”、“家族を大切にする家庭的なふたり”などが数多く寄せられたそうです。

あってはならないできごとが…

さて、時が流れて2016年、中村芝翫さんは、なんと不倫騒動で渦中の人となります。週刊文春が、中村芝翫さんと京都の人気芸妓の市さよ さんとの不倫を報じたのです。当時は三代目 中村橋之助の中村芝翫さん、2016年10月に「八代目 中村芝翫」を襲名することが決まっていました。2016年8月29日、襲名前の興行として浅草寺で「お練り」が行われました。このお練りの夜、中村芝翫さんと 市さよ さんが密会したところをスクープされたものでした。

事実を認め、マスコミの前で「不徳の致すところ」だけを繰り返す窮地の中村芝翫さんを救ったのが、三田寛子さんの「神対応」でした。不倫相手である 市さよ さんも面識があったという三田寛子さんは、当然、夫の不倫行為には落胆し、中村芝翫さんをキツク叱ったとか。橋之助さんはそんな妻に深く謝罪したそうです。

その後、三田寛子さんはマスコミの取材に対し「離婚はない」と断言。夫の「私の不徳の致すところ」だけを連発していた謝罪会見とは違い、”名口上”と言われるほどの対応を見せました。

当時の報道の一部を抜粋してみます。

雨男で有名だった芝翫さんを思わせるように、三田が到着する直前から雨が降りだした。三田は「父が、もっと気を引き締めて頑張らねばいかんぞと言っているということ」と義父の叱咤(しった)を感じたとし、「敦子(=本名)を守ってあげなきゃ、女の子だからかわいそうに、ドキドキしながら会見するだろうという思いで、父が私を守ってくださっている」とユーモアも交えた。

離婚については「ないでーす!」と明るく答えた三田。記事が出る前に2人でよく話し合ったそうで、すでに気持ちを切り替えているようだ。夫と息子3人の親子4人同時襲名まであと2週間。「雨降って地固まる、と言っていただけるように一生懸命頑張ります」と誓い、頭を下げた。(東スポWeb 2016年09月18日 06時30分配信 「橋之助不倫も…三田寛子“神対応”の裏」より)

また、気丈に見える三田寛子さんの振る舞いについても、笑顔の奥にかくされた覚悟の大きさを報じられたこともあります。

報道陣から「非の打ちどころなし」という声が出るほどの“神対応”に同日放送されたフジテレビ系「バイキング」では、司会の坂上忍(49)が「(三遊亭)円楽師匠に次ぐ名会見。素晴らしい!!」と大絶賛。

さらに同局系「直撃LIVE グッディ!」の安藤優子キャスター(57)も「天才! 賢い妻を絵に描いたような感じ」と称賛した。

日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」でも、フリーアナウンサーの宮根誠司(53)が「100点満点ですね」と驚きの表情で評価した。

これほどまでに絶賛された三田の対応だが、そのウラには梨園ならではの事情があるという。

「史上初の親子4人同時襲名となり、東京での襲名披露興行は、10月から11月の連日行われる。そのため橋之助は、20万枚ものチケットを完売させなければならない。その後も1年間、全国各地で襲名披露興行を行って、あいさつ回りも1000か所を超える。トータルで100万人近いお客さんを呼ぶ必要があるんです」(梨園関係者)

襲名披露興行を成功させるためには、不倫騒動の影響を最小限に食い止めないとならないのは明らかだ。

「特に子供の襲名披露があるだけに、不倫騒動の話題はすぐにでも消したい。母として、『私が頑張るしかない』という決意が“神対応”につながったと思います」(同)

今年5月に行われた八代目中村芝翫を襲名する橋之助の襲名パーティーには、松本幸四郎(74)、市川染五郎(43)、水谷豊(64)、山田洋次監督(85)など、各界から超豪華な著名人を含む2382人が詰めかけた。

「盛大なパーティー開催のため、三田は何日も寝ずに準備をした。『支援者を裏切るわけにはいかない』という思いも強い。それに彼女は負けず嫌いで有名。結婚前には『アイドルに梨園の妻が務まるわけがない』と冷ややかな目で見られていたが、華道、茶道、マナー教室などに通うなど並々ならぬ努力で周囲に認めさせた。今でこそ3人の息子を授かったが、最初の妊娠が流産してしまうというつらい経験もあった。それだけに、息子たちへの愛は深いものがある」(同)

この日の会見で、三田は「子供3人は稽古に打ち込んで襲名公演で温かい拍手をちょうだいできるように、学業とお稽古に取り組んでいる。家族で力を合わせて頑張っていきたい」と語気を強めた。アイドル時代と変わらぬさわやかな笑顔で会見を乗り切ったが、その裏に壮絶な覚悟があったのは間違いない。(東スポWeb 2016年09月18日 06時30分配信 「橋之助不倫も…三田寛子“神対応”の裏」より)


中村芝翫さんについて

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八代目 中村 芝翫(はちだいめ なかむら しかん、1965年(昭和40年)8月31日 )は、歌舞伎役者、俳優。中村芝翫の当代である。屋号は成駒屋定紋は祇園守、替紋は四つ梅。スプリングフィールド所属(2012年より太田プロと業務提携)。前名の三代目 中村 橋之助(さんだいめ なかむら はしのすけ)としても知られる。本名は中村 幸二(なかむら こうじ)。青山学院中等部卒業

中村芝翫さんの人となり

年少時から積極的にテレビ等にも出演、歌舞伎界のみならず一般的知名度も高い。父譲りの古風な顔立ちで、立役を得意とする。近年では義太夫狂言にも積極的に取組む。

夫人は三田寛子で、彼女との間に生まれた3人の息子全員が歌舞伎俳優としての道を歩みだしている。

父は七代目中村芝翫、兄は九代目中村福助。長姉は日本舞踊家で中村流家元の2代目中村梅彌、次姉の好江の夫が十八世中村勘三郎であり、義兄の十八世勘三郎が主演を務めたコクーン歌舞伎でも多く出演している。

2009年公開の映画『GOEMON』で織田信長を演じ、戦国の三英傑すべて(豊臣秀吉太閤記〜天下を獲った男・秀吉』、徳川家康武田信玄』)を演じた。

2011年10月に父が逝去したことを受けて、日本舞踊中村流の相談役に就任する。

2016年10月2日に初日を迎えた芸術祭十月大歌舞伎(歌舞伎座)で八代目中村芝翫を襲名。併せて長男の国生が四代目中村橋之助を、次男の宗生が三代目中村福之助を、三男の宜生が四代目中村歌之助をそれぞれ襲名した

中村芝翫さんの略歴

中村芝翫さんのエピソード

中村芝翫さんの出演作品

歌舞伎(代表作)

テレビドラマ

映画

舞台

教養番組

音楽

CM

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三田寛子さんについて

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三田寛子(みた ひろこ)1966年1月27日生まれ。日本の女優、歌手、タレントである。戸籍名:中村 敦子(なかむら あつこ、旧姓・稲垣)。血液型はB型。身長160cm。趣味は、日本画・かな書・書道・茶道・お菓子作り。夫は歌舞伎俳優・八代目中村芝翫。デビュー当時はスターダストプロモーションに所属、現在はプントリネア所属。

三田寛子さんの略歴

京都市下京区の出身。東京都立代々木高等学校に入学したが、単位不足のため明治大学付属中野高校定時制に転校、同校卒業。 クラスメイトには中森明菜本木雅弘薬丸裕英布川敏和らがいる。

1980年に雑誌『セブンティーン』のモデルに応募し合格、これがきっかけで上京。1981年にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』の生徒・高坂ひとみ役でデビュー。

翌1982年3月21日、CBS・ソニーより、南沙織山口百恵など300人あまりのアイドルやアーティストを送り出した酒井政利プロデュースにて「駈けてきた処女(おとめ)」(作詞:阿木燿子、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。同期デビューは小泉今日子堀ちえみ松本伊代中森明菜早見優石川秀美シブがき隊など「花の82年組」と呼ばれた面々。

その後『笑っていいとも!』の「寛子のおかし大好き」のコーナーでのいわゆる「天然ボケ」キャラクターでブレイクする。NHK教育『YOU』の司会などを務めたほか、女優としても多くのドラマに出演した。

1991年に中村橋之助と結婚。第一子を流産した後、将来の歌舞伎役者となる男児を3人もうける。その後は「4人の歌舞伎役者」を抱える“梨園の妻業”が生活の中心となったが、「主婦タレント」「元アイドル」としてメディアに登場している。

三田寛子さんの逸話

三田寛子さんの音楽

シングル

# 発売日 A面
B面
タイトル 作詞 作曲 編曲
1980年代
1 1982年
3月21日
A
駈けてきた処女 阿木燿子 井上陽水 萩田光雄
B
何故ですか 小林和子 芳野藤丸 船山基紀
2 1982年
7月1日
A
夏の雫 阿木燿子 井上陽水 坂本龍一
B
ふたりぽっち物語 後藤次利
3 1982年
10月1日
A
色づく街 有馬三恵子 筒美京平 川口真
B
ピンク・シャドウ 岩沢幸矢
岩沢二弓
三田寛子
岩沢幸矢
岩沢二弓
松原正樹
4 1983年
1月21日
A
ひとりぽっちの卒業式 阿木燿子 見岳章 水谷公生
B
カサノヴァ・サンバ
5 1983年
4月21日
A
初恋 村下孝蔵 若草恵
B
季節のファンタジー 鈴木隆子 川口真
6 1983年
9月21日
A
野菊いちりん 阿木燿子 村下孝蔵 萩田光雄
B
秋麗 岩里未央[6]
7 1984年
1月21日
A
春の冒険 竜真知子 林哲司 鷺巣詩郎
B
ガラス窓
8 1984年
8月1日
A
恋するメトロ 國木田アコ
園部和範
タケカワユキヒデ
B
20才の前で 茅野遊 小椋佳 若草恵
9 1984年
11月21日
A
ときめき おぼろ 岩里祐穂 岩里未央 入江純
B
見つめてほしい 康珍化 林哲司 川村栄二
10 1985年
4月1日
A
死ぬまで笑ってて… 古田喜昭 鷺巣詩郎
B
誘惑世代 SHOW 小田裕一郎 奥慶一
11 1985年
7月21日
A
ひとりぼっちのクーデター 売野雅勇 芹澤廣明 入江純
B
貝殻物語 康珍化 林哲司 川村栄二
12 1986年
4月10日
A
少年たちのように 中島みゆき 萩田光雄
B
愛される花 愛されぬ花
13 1986年
10月22日
A
恋ごころ 村下孝蔵 松本晃彦
B
あまい あまい ラヴレター EPO
14 1987年
6月21日
A
TA-TI-TA
〜涙のマリオネット〜
松宮恭子 水谷公生
B
3度目のHONESTY 秋元康 柴矢俊彦

オリジナル・アルバム

  1. 16カラットの瞳
    (作詞:阿木燿子 作曲:網倉一也 編曲:川口真)
  2. 駈けてきた処女(おとめ)
    (作詞:阿木燿子 作曲:井上陽水 編曲:萩田光雄)
  3. ストロベリー・バースデイ
    (作詞:阿木燿子 作曲:網倉一也 編曲:川口真)
  4. 忘れかけた子守唄
    (作詞:佐藤宗幸 作曲:佐藤宗幸 編曲:船山基紀
  5. 恋の入口
    (作詞:阿木燿子 作曲:網倉一也 編曲:川口真)
  6. ジャパニーズ・ガール
    (作詞:川口真代 作曲:川口真代 編曲:大村雅朗
  7. レモン・センセイション
    (作詞:西尾尚子 作曲:黒柱憲五 編曲:船山基紀)
  8. 何故ですか
    (作詞:小林和子 作曲:芳野藤丸 編曲:船山基紀)
  9. Mission in the midnight-私を愛したスパイ-
    (作詞:兵藤未来 作曲:前田義秀 編曲:船山基紀)
  10. Bon Voyage 眠りの海へ
    (作詞:安藤芳彦 作曲:安藤芳彦 編曲:船山基紀)
  1. 秋風メランコリー
    (作詞:阿木燿子 作曲:川口真 編曲:川口真)
  2. 色づく街
    (作詞:有馬三恵子 作曲:筒美京平 編曲:川口真)
  3. コスモスは知らない
    (作詞:阿木燿子 作曲:網倉一也 編曲:川口真)
  4. 五月雨デイト
    (作詞:阿木燿子 作曲:網倉一也 編曲:川口真)
  5. 季節のファンタジー
    (作詞:鈴木隆子 作曲:川口真 編曲:川口真)
  6. 亜・かぐや姫
    (作詞:兵藤未来 作曲:安藤芳彦 編曲:松原正樹
  7. ピンク・シャドウ
    (作詞:岩沢幸矢・二弓 補作詞:三田寛子 作曲:岩沢幸矢・二弓 編曲:松原正樹)
  8. 恋はメレンゲ
    (作詞:大瀧詠一 作曲:大瀧詠一 編曲:大村雅朗)
  9. 12月のデクレシェンド
    (作詞:兵藤未来 作曲:前田義秀 編曲:松下誠
  10. 夏の雫
    (作詞:阿木燿子 作曲:井上陽水 編曲:坂本龍一)
  11. ふたりぽっち物語(CDのみボーナストラック)
    (作詞:阿木燿子 作曲:井上陽水 編曲:後藤次利
  12. ひとりぼっちの卒業式(CDのみのボーナストラック)
    (作詞:阿木燿子 作曲:見岳章 編曲:水谷公生)
  13. カサノヴァ・サンバ(CDのみのボーナストラック)
    (作詞:阿木燿子 作曲:見岳章 編曲:水谷公生)
  1. 待ちびと
    (作詞:阿木燿子 作曲:岸田智史 編曲:川口真)
  2. 初恋(アルバム・ヴァージョン)
    (作詞:村下孝蔵 作曲:村下孝蔵 編曲:川口真)
  3. かんにん
    (作詞:阿木燿子 作曲:岸田智史 編曲:川口真)
  4. 野菊いちりん
    (作詞:阿木燿子 作曲:村下孝蔵 編曲:萩田光雄)
  5. 桜の木の下で
    (作詞:岩里祐穂 作曲:岩里未央 編曲:鷺巣詩郎)
  6. 星空の人魚
    (作詞:岩里祐穂 作曲:岩里未央 編曲:鷺巣詩郎)
  7. 夢路
    (作詞:阿木燿子 作曲:村下孝蔵 編曲:川口真)
  8. 冬色物語
    (作詞:竜真知子 作曲:林哲司 編曲:鷺巣詩郎)
  9. 秋麗(あきうらら)
    (作詞:阿木燿子 作曲:岩里未央 編曲:萩田光雄)
  10. 夕なぎ海岸
    (作詞:竜真知子 作曲:東郷昌和 編曲:鷺巣詩郎)
  11. 初恋(シングルヴァージョン)(CDのみのボーナストラック)
    (作詞:村下孝蔵 作曲:村下孝蔵 編曲:若草恵)
  1. 微笑みのエントランス
    (作詞:内藤綾子 作曲:小林明子 編曲:水谷公生)
  2. 少年たちのように
    (作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき 編曲:萩田光雄)
  3. 素敵なひとに
    (作詞:伊藤薫作曲:伊藤薫 編曲:水谷公生)
  4. ラストシーン
    (作詞:天野音彦 作曲:天野音彦 編曲:水谷公生)
  5. 愛される花 愛されぬ花
    (作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき 編曲:萩田光雄)
  6. HAPPY TALK
    (作詞:ふかいまり 作曲:小林明子 編曲:Bobby Wattson)
  7. バラが咲いた
    (作詞:浜口庫之介 作曲:浜口庫之介 編曲:板倉文明)
  8. 花と小父さん
    (作詞:浜口庫之介 作曲:浜口庫之介 英訳詩:Marry Yomioka 編曲:板倉文明)
  9. えんぴつが一本
    (作詞:浜口庫之介 作曲:浜口庫之介 編曲:板倉文明)
  10. 涙くんさよなら
    (作詞:浜口庫之介 作曲:浜口庫之介 編曲:板倉文明)
  11. 恋ごころ(再発CDのみのボーナストラック)
    (作詞:村下孝蔵 作曲:村下孝蔵 編曲:松本晃彦)
  12. あまいあまいラヴレター(再発CDのみのボーナストラック)
    (作詞:EPO 作曲:EPO 編曲:松本晃彦)
  13. TA-TI-TA〜涙のマリオネット〜(再発CDのみのボーナストラック)
    (作詞:松宮恭子 作曲:松宮恭子 編曲:水谷公生)
  14. 3度目のHONESTY(再発CDのみのボーナストラック)
    (作詞:秋元康 作曲:柴矢俊彦 編曲:水谷公生)

ベストアルバム

未発売曲

月曜ドラマランドハーイあっこです」主題歌)(1984年)

映像作品(プロモーションビデオDVD

  1. レモン・センセーション
  2. 忘れかけた子守唄
  3. 駈けてきた処女(おとめ)

(1985年10月21日)(レーザーディスク(68LM-57)、VHD(68VM57))

  1. 待ちびと
  2. 初恋
  3. ピンク・シャドウ
  4. ひとりぼっちのクーデター
  5. 夕なぎ海岸

『映・像・少・女』より

  1. レモン・センセーション
  2. 忘れかけた子守唄
  3. 駈けてきた処女(おとめ)

『夢あるき』より

  1. 待ちびと
  2. 初恋
  3. ピンク・シャドウ
  4. ひとりぼっちのクーデター
  5. 夕なぎ海岸

三田寛子さんの出演作

テレビドラマ

情報番組

バラエティ番組

映画

ラジオ

舞台

コンサート

CM

三田寛子さんの著書

<ここまでの記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「三田寛子」を素材として二次利用しています>


お二人の馴れ初め

中村芝翫さんと三田寛子さんのは、1988年公開の映画「寅次郎~サラダ記念日」の撮影中、三田寛子さんが共演の尾美としのりさんの陣中見舞いに訪れたことによるそうです。
三田寛子さんの熱烈なファンだったという中村芝翫さんは、1989年1月23日の雑誌の対談で三田寛子さんを指名!
ひいきにする料亭の閉店時間を延長してセッティングし、深夜0時から日本酒をグイグイやりながら盛り上がり、対談終了後はカップル用の狭い部屋に三田寛子さんを誘ったとされています。
初めてのデートで。ドライブ中にかけられた音楽が歌舞伎の演目が流れてきて驚き、なんて芸に熱心な人なんだろうと寛子さんが惚れこんだというエピソードも残されています。
周囲からは「アイドル上がりの女に梨園(歌舞伎界)で何が出来る?」との冷たい声もあったそうですが、2年間の交際を経て、お二人は結婚へとゴールイン。中村芝翫さん26歳、三田寛子さん25歳の時でした。

梨園に入った三田寛子さんの結婚生活は決して平坦ではなく、米1升研ぐことから始まる台所仕事はもちろん、ひいき筋への挨拶から受付、経理などの裏方、雑事まで、ほぼひとりでこなされたそうです。また、梨園の妻の仕事の一つともされる、後継ぎになる子どもを3人育て上げられました。最初の妊娠では第一子を流産され、大変つらい思いもされています。

そして今の 中村芝翫さん 三田寛子さん ご夫婦

現在のお二人の様子は、長男である四代目中村橋之助さんや、次男の三代目中村福之助さんの公式ブログなどからうかがうことができます。

 

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